betterがbest「無くすより減らす」

技術教育の視点から言えば解決したとしても新たな問題が出るのは当然の視点なのだけれども、今回の実名制も結構ひどい。自分の考えを整理するのも含めて書いておきたい。

弁護士の小倉秀夫氏に聞く ネットでの誹謗中傷問題(中)実名を使うのが基本 それがネットをよくしていく
情報を発信する以上、そこに社会的人格が結びつく必要があり、プロバイダーか、発言者か、誰かが必ず責任を負うべきだということです。

本当にそうでしょうか。だとすればネット小説も自由に発表できない世の中ということでしょうか。

実名と匿名が混在する現在のネット環境では、実名で発言する人はバカだということになってしまいます。実名の人は無限のリスクを負い、匿名の人は負わないということですから。

本当にそうだろうか。まったくもって偏見でしかないと思う。
もし実名の人がリスクを負うのなら全員が匿名で書き込めばいいではないか。
匿名も実名も道具であると考えたらこの答えが分かる。
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「読める行間」と「思考停止スイッチ」

現代人の文章読解能力が落ちたと言うが、ちょっと違う気がするのは気のせいだろうか。

読書感想文「リアル鬼ごっこ」 山田悠介著
世間の評価を色々見てみると、「小説好きは読むな」「大人は読むな」「子供しか楽しめない」などという意見が多いです。ただ、ボクはそのいずれも違うのではないか、と思います。確かに小説が好きな人やまともな言語力を持つ方はこの文体に呆れ返り、読む気にはなれないでしょうが、だからといってそれを子供に読ませるのは間違いです。まだ読解力が未熟なうちにこの本を読ませると、後にどんな悪影響を及ぼしてしまうか、それを想像するだけで恐ろしくなります。「リアル鬼ごっこ」は「一般的な知識と日本語力を持つ人が読み、突っ込みながら怒ったり笑ったりする」という本なのです。


[最近読んだ] 携帯小説
別にこの文化を否定するつもりも排他するつもりもないが、
ファーストフードのような文章ばかりを食べていても体(心)に良くない。
しかし悲観すべき事ばかりではない。
この文章で感動できる人たちが多いということは、
日本はまだまだ情操教育が十分機能していると言うことだし。


ファーストフードの味付けは「読める行間」と「思考停止スイッチ」。 続きを読む

掃除と知的財産:公共物か私物か

先日「学校でどのように掃除をやらせるべきか」という議論をワークショップ形式で行った。

我々のグループでは掃除の目標は掃除を通して公共意識を持つべきという結論に至った。

「自分の教室だからきれいにする」のではない
「みんなの教室だからきれいにする」のだ。

それが分かっていないから町中に平気でゴミを捨てる人もいるのではないだろうかという話だ。

同様にふとしたきっかけで思いついた。『知的財産は私財か公共財か』、である。 続きを読む

勝手にブログ評論

勝手にブログ評論より


めちゃくちゃ・・・笑 続きを読む

WEB墓標

[追記]もしも、ブロガーが死んでしまったらブログはどうあるべきなのか?
dankogai氏が亡くなられた場合、あの方のブログというのは、ある意味『財産』になるのではないだろうか。


情報発信ツールとして使われるHPやBLOGはたしかに財産である。
しかし、コミュニケーションツールとしての側面から見たHPやBLOGは墓標になる。

墓石・お墓あれこれ
墓標とは故人の一生を象徴化してその人が持った意味を込めるものです。


参考:メディアと怪談とインターネット 続きを読む

性犯罪防止と情報規制のジレンマ

出会い系サイト等に係る児童の犯罪被害防止の在り方について(PDF)より

「インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律」
については、法第7条(児童による利用の禁止の明示等)及び第8条(児童でないこと
の確認)の見直し期間(施行後3年)が経過したところ、平成18年中出会い系サイトに
関係して検挙した事件の被害児童数は1,153人と、法施行後一旦は減少していたものの
再び増加に転じ、依然として児童の被害は深刻な状況にある。


出会い系サイトって何?

いわゆる出会い系サイトへの未成年によるアクセスを制限することの必要を認めるに吝かではないが、何を以て出会い系と定義するかが難しい。例えばmixiやモバゲータウンって出会い系サイトなの?みたいな。CGMとかソーシャルサービスを軒並み網にかけるとなると、際限がないよなぁって。


一言で言うと道具って使い方次第 続きを読む

パロディ文化

ちょっと前にtechnoratiと一緒にはてなに登録した。最近になってやっと活用するようになった。

ほっとエントリーやBLOGの動向も分かるし自分の記事がどれだけ注目されるかも分かる。なんか株価の動向をずっと見守る初心者トレーダーみたいな気分だ。そのおかげか昨日のエントリーも、ブログ訪問者が一気に10倍になった。

著作権問題になるといつも昔金八先生で短歌の勉強をしていた回を思い出す。
教育界隈では知財教育・知財学習が話題になっているのだがこれは走りだったのだなと今になって思う。

内容は「本歌取り」

昔の人たちの歌をもとに新しい短歌を作る。その際、ちゃんと作り手の人より良いものを作らなければいけない、というルールがある。それがその短歌を作った人達に対する最大限の尊敬の表し方だ。と武田鉄矢が語る。偉く感銘を受けたのを覚えている。

ある意味それはパロディ文化で、それを楽しむ人は予想以上にたくさんいると思う。と言うか世の中パロディじゃないものなんてないくらいの段階に入ってる。これもリミックス文化の一つ。

完全なオリジナルコンテンツなんて作る方が難しい時代だし、
リミックスクリエイターの活躍する場をどうか狭めないで欲しいとは思う。
というかそういう遊び場がもっと増えて欲しい。
ニコニコやyoutubeに職人が集まってるし、JASRACにそこら辺の契約を上手く結んだひろゆき氏は本当にうまいなぁと思う。

パロディ文化といえば、はてなハイクによく顔を出すようになった。

ハイクというか大喜利という言葉が似合う。

大喜利かぁ、笑点からは著作権使用料取らないのかな。。。

culture firstについての考えなんとなくまとめ

権利者団体が「Culture First」宣言、文化保護で補償金の拡大求める

音楽や映像などに関する28の権利者団体で構成される「デジタル私的録画問題に関する権利者会議」(以下権利者会議)は15日、「Culture First?はじめに文化ありき」の理念のもとに行動することを宣言した。今後は「文化」の価値を訴え、消費者の私的複製によって発生する権利者の経済的不利益を穴埋めする「私的録音録画補償金制度」の拡大を求める考えだ。

著作権団体、統一標語「Culture First」で補償金制度維持の結束図る

「iPod課金」は「文化を守るため」――権利者団体が「Culture First」発表

Culture First はこんなにすばらしい権利者団体です。

どうやら私は認識が甘かったようです。ダウンロード違法化、ダビング10問題等の、著作権法改正問題は、単なる利益の再分配問題ではなく、文化を利権団体から私達の手に取り戻す為の戦いと考えるべきだと言うことが分かりました。


乗ってみたというと微妙だが、culture firstよりもこっちを推したい。というわけでこんなロゴを作ってみた。
(使いたい方は勝手に使ってください。fontはbrooklynkidを使用しています。フリーフォントですが念のため)

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ところで、お前哲学と心理学どんだけ学んだの?

ふと頭に浮かんだ。

教育崩壊とか、指導力不足教員とか叫ばれて久しいが、実はこの問題、教員採用試験自体に問題があるように思える。


試験、テストというものは、実力を試すものだと思われている(少なくとも受験を終えた当たりまで私はそう考えていた)が、本来は階段の踊り場であるべき。
学習を進めました、どれくらい定着しているか見てみましょう、というのがテストの常識だったと思う。一般の人たちの視点としては。

しかし教員の視点に立つと、この内容を知っておいてほしい、だからこそテストに出す。そしたらみんな勉強するから。もっと言うとなぜその内容を知っておいて欲しいか。「人生に役立つことだから」だ。

教員採用試験も同様、「教育に役立つこと」の定着度を測らなければいけない。

書評-ウンコな議論-より
「教育の目的を実践哲学に、方法を心理学に求める」と唱えたのはヘルバルトだ。

この文章自体については正しい記述ではないかもしれないが、おおかた間違ってないと思う。そして知っておいて欲しい事は実践哲学(倫理)と心理学が効果的な教育には必要不可欠であるという視点だ。問題として出されるならば、この一文とともにお前どれだけ心理学かじったの?と問われていると考えてもらってもかまわない。むしろ教育問題や教育政治を語るブロガーにも問いかけたい事である。

しかし、こういう文章が教員採用試験で問題化するとき、しばしば

「教育の目的を実践哲学に、方法を心理学に求める」と唱えたのは(1)     である。

という形で出題される

これは本質をついていない。名前なんてどうでもいい、研究会でしか役に立たないし、そのときに思い出せば済むこと。もちろんそういう試験をするところばかりでないことも確かだし、こういう問題を出す所が教員(志望者)の知識偏重に拍車を掛けているとは考えられないだろうか。

本来なら試験で問うべきは、
第一に、誰が言ったかでなく何を言ったか
第二に、それを教育に応用している(できる)か

である。

そしてそれは面接や模擬授業を通せば一発で分かるものだ。生徒に対して、注目のさせ方やモチベーションの上げ方、何が必要な情報で伝えたい本質は何か、どういった視点を与えるべきか。学習とは知識や経験を得ることで行動様式が変わることである。この視点を教員採用試験に用いないこと自体本末転倒である。

「あなたは教員採用試験の勉強を通してどう変わりましたか?」

この一言で十分である。知識の定着でなく学習の定着が重要だ。プロとして資質のある教員(候補)はそれに答えうるだけのアカウンタビリティを持つだろうし、全員が満足に答えうるなら全員を合格にしてしまえばいい。それだけの力を持つ大人に育てられて損する子どもはいないだろうし、そういう意味で、教員採用はポジティブリストでもいいと思うのだ。

参考:学習とは。
   梅田望夫さんの感動的なお言葉
   教員採用試験から考える 教師教育
   教員採用における問題点

そろそろ努力について言及しとくか 書評-汗をかかずにトップを奪え-

ハテナ界隈でにぎわうこれらの記事について

1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。
いろいろと窮屈そうに生きているあの人のために、

今は少し気楽に生きている自分のロジックを思いつくままにアウトプットしてみようと思った。

偉そうに見えても、笑って許して。

■「地道な努力」よりも、はるかに人生を好転させる努力の仕方
「現状を変える一発逆転」はいたるところにある。

多くの人は、勇気がなかったり、ぼんやりと生きていたりするために、

一発逆転のチャンスが目の前を通り過ぎるのを

見過ごしてしまっているだけだ。

ポジティブ教について
手を変え品を変え登場してくる自己啓発本、成功哲学の類は、それを読んでも誰も成功者にはならないから、常にベストセラーに君臨するわけで、これに飛びつく人たちは、それらを目にすることで自分も上昇できるような気分になるが、決して上昇しない人たちだ。

実録・自己責任教の信者たち
こういうweb色紙に感動できるくらいには充実した「平凡な人」たちがスピリチュアルとかのカモになるんだろうなあ





ちょうどいいタイミングでこの本を読んだんだけど、相変わらずの桜木のツンデレ振りはとりあえずおいといて、本書一冊で彼らが言いたかったことがすべて繋がる。
実際に年収何億円も稼いでいるような人間は、そんなことするだろうか。
 年収何億円どころか、ビルゲイツのような人間だって、結局は誰よりも忙しく働いてしまうじゃないか。
 人間は、決して飯を食らうためだけに働いているわけじゃない。働きもせず、無益に過ごす時間、あるいは孤独に耐えられないからこそ、働いているのだ

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書評-アキバをプロデュース-

妹尾先生とは二度ほどお会いしただろうか、かなり切れる上に目が優しい人だ。今度サインもらおう。
本書で読み取ったことは以下の三点。

・マネジメントとは「局所最適」でなく「全体最適」「長期最適」
・著者の教育観と技術観
・著者の人情味あふれる人間性

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[社会]青森家族殺害

青森家族殺害:猟奇的ストーリーの漫画本を押収

青森県八戸市根城(ねじょう)のアパートで母子3人が殺害され放火された事件で、県警八戸署捜査本部は12日、殺害と放火を認めている長男(18)=銃刀法違反容疑で逮捕・送検=のものとみられる漫画本を焼け跡から押収した。登場人物が次々に人を殺す猟奇的なストーリーが含まれ、県警は動機解明につながる可能性があるとみて調べている。 

 漫画本は数種類で、人気パソコンゲームを漫画化したミステリー作品は殺人場面が多く、登場人物が刃物で首を切ったり、モデルガンで背中を撃つシーンもあった。作品はテレビアニメ化もされているが、昨年9月に京都府の16歳少女が父を手おので殺害した事件の直後、一部民放局が「事件を連想させる」と放送を自粛していた。

 殺害された次男(15)の友人によると、ほとんどの漫画本は長男のもので、次男は「兄に背中をエアガンで撃たれた」と話していたという。

 また、長男は調べに対し殺害動機は「パソコンを見てくれ」と供述しており、県警は押収したパソコンのデータ解析を急いでいる。

 一方、長男は八戸市内の小学校の卒業アルバムに掲載された作文に「あまり学校に行っていないけど、十月に一回、学校に行きました」とつづっていた。楽しかった理科の実験の思い出が書かれ、欄外に殺害された母(43)が「(長男が)うれしいと思ったことは、お母さんは、もっとうれしいことです」と感想を書いていた。

 一家は長男の中学入学の直前、市内の別の地域に引っ越している。母の知人の主婦(43)は「長男は(母と)折り合いが悪かった。長男は中学生になって暴れ方がひどくなったと(母から)聞いた」と話している。【後藤豪、太田圭介】




この手のキジが一番嫌いです。

この記者さんの人生に於いてそんなにマンガが大きな部分を占めたのでしょうか。

[技術教育]技術倫理

技術倫理のまとめサイトを見つけた

講義の資料らしいが勉強になる

[社会]「連帯責任」クラス全員平手打ち

「連帯責任」クラス全員平手打ち…横浜市立小の女性教諭

横浜市都筑区の市立山田小学校で、5年生を受け持つ女性臨時教諭(54)が、児童38人の顔を平手打ちしていたことが11日、わかった。

 一部の児童が野外観察に集まらなかったことに腹を立て、「連帯責任」としてクラス全員をたたいていた。学校は「あってはならない体罰だった」として保護者らに謝罪した。市教委は教諭を処分する。

 同校によると、女性教諭は今月7日、産休に入った学級担任に代わって赴任。翌日、校内にある畑の観察に行こうとしたところ、数人が校庭でボール遊びを始め、なかなか集まらなかったため、「みんなにも責任がある」と、顔を両手ではさむようにしてたたいた。なかには、数回たたかれ、ショックを受けている児童もいるという。

 女性教諭は「行き過ぎた行為だった。クラスが騒がしく、早く立て直さなければという焦りがあった」と説明しているという。

 後藤正博校長は「ビンタは体罰。決して許されない。再発防止徹底を図り、保護者や地域の人々の信頼回復に努めたい」と話している。

(2008年1月12日3時4分 読売新聞)


ビンタは確かに体罰だけど、それが"絶対"許されないわけじゃない。

それが「嫌だ」という考えを伝える意思表示の手段として有効でかつ安全性が確保できる場合のみ有効だと考える。もちろん体罰を推奨したいわけではない。

問題はなぜ全員に平手打ちが必要だったか。

そもそも学校における連帯責任という考え方が僕は嫌いだ。

と言うのも、「連帯責任」というのは全員が同じ目標に向かっている上で初めて可能になる視点のはずだ。

学校に行く目的や目標って、みんな一緒なのだろうか。みんななりたい職業って一緒だろうか。

経験則で悪いが、学校の先生はなんの前提も無しに「一致団結は素晴らしいことだから、みんなで頑張りましょうね」と約束してしまう事がある。しかし本来は義務教育で集まっているだけの生徒達に、集まる必然性を与えなければならない。

・なぜ畑の観察が必要なのか
・畑の観察より面白いボール遊びよりも、どうメリットがあるのか

をまず分かりやすく説明しなければならない。
そしてそのために学級がチームでなくグループとしてどう動くべきなのか伝えなければならない。


教育内容としての畑の観察は、そういう集団行動を学ぶ手段であるべきだからだ。

それがクラスをマネジメント(経営)すると言うこと。

それが教師の仕事だと考えている。ちなみにここで言うマネジメントとは『指図すること』ではない、『指針を示し調整すること』である。

赴任翌日は臨時教師にとって黄金の三日間であり、威厳を保ちたかったのか知れないが。

むしろ体罰問題の多くは、「体罰」という手段よりも「体罰に至るまで」の経緯が問題であるように思える。

[社会問題]「禁播令」

中国"動漫"新人類 ゴールデンタイムの「外国アニメ放映禁止令」が投げかけた波紋 中国のネット世論が政府直属テレビ局を動かす

日本で有害サイト規制の問題が議論され始めているが
(というかずっと昔から規制論と緩和の繰り返しのような印象があるが)

中国ではもう禁止らしい。

日本でもデスノートは社会的なブームになりった。

僕は見なかったしタイムリーなことについさきほど喫茶店のマンガコーナーに並べてあったのを手にとって読んでいた。

普通に考えれば突っ込みどころが多々あるのだが、ロジカルに説明をこなし行動するマンガが流行っている。と思う。

H×HといいDEATH NOTEといい、

金田一少年や名探偵コナンが流行りだした頃からの傾向だろうか。あの当たりから徐々にシフトして行った印象がある。印象論で申し訳ない。

僕が小さかった頃、他のマンガを知らなかったからか、今と観点が違ったからかは分からないが、一昔前までは世界観とキャラクターで魅せるものが多かった。



禁播法に話を戻すが、日本でも有害アニメなどは話題にあがるが特に禁止されることもない。

ではなぜ中国でダメでなぜ日本でよいのか。

簡単に言えば社会的なフォローの姿勢の違いなんじゃないかと思う。

日本では有害と思われるものを"自主規制する"風潮があるんじゃなかろうか。

静的な描写が泣くとも暴力シーンがあると言うだけで自主的にR指定をつけたり、

アニメの冒頭に注意書きを入れたり(これは法律のテコ入れがあったんだろうけど)

社会的にやばい事件があったから放送取りやめたり
(調べて初めて知ったけど相当やばかったのね最終話・・・)

会社だけじゃない、程度の差はあれど親が「あんなもの見るんじゃありません」から「これ本当にあったらやだよねー」と突っ込むだろうし、それを聞いてちゃんと子どもは考えるだろうし。

しかし記事によると中国はそれ(デスノート)をたちの悪いおもちゃにしてしまったって事だよね。

道具は使う人次第で平和にも戦争にもなる。

中国でもフォローしてないわけじゃないんだろうけど、十分じゃない気がする。

こういう事件が出ると人間性に原因を求めが知だろうけど、もっと社会的な背景の部分が問題なんじゃないかと思う。

そうやって「留意」のレベルのものを「規制」でなく「禁止」してしまうってのは何か社会的背景があってのことだろうし。

そういう人間性とかよりも経済格差が問題だと思うんだけどなぁ。

まだ裏を取れてない意見垂れ流し状態だから書くべき事じゃないかもしれない。

と言うわけで時間があるときに調べてみようと思います。

プロであること

ふと気づいたんだけど、

"プロである"と言うことは"資質がある"と言うことなんだね。

「プロって何??」

と聞くと、だいたい「専門の技術や知識のある人」か「それだけで食ってる人」

と答えられる。それは別に間違っちゃいない。

だけどプロの条件を聞くとみんなとたんに見当外れな回答をする気がする。

○○を知ってて、○○(具体的なもの)を上手くできて・・・

多分芸術分野を除いた世界ではどんな分野も最初からプロはいない。

「プロに生まれるのではない、プロになるのだ」

そう、そのための資質が問われる。

[最近読んだ]アカウンタビリティレベルより
僕は恩師からプロ意識というものはアカウンタビリティを持つことからだといわれた。

アカウンタビリティは説明責任、聞かれたら納得できるだけの理由を応えられることである。
要はエビデンス、論拠をもつこと。
ほんでもって一般人のもこれは必要なはずなんだよね。特に専門家に口を出す時は。
僕が年を取ってきたから何か昔からか、最近はセミプロみたいな人がプロに口出しする場面をよく見るが、受け答えの一番の違いはこのアカウンタビリティで、それを見てやっぱりプロとセミプロは違うなと思うのだ。


これも必要最低条件の資質なのだ。

探求心、コミュニケーション能力、創造性、継続力。他に何があるだろう。

「○○を知っている」のは、その資質の結果でしかない。

技術は後でつければいい。まずは資質だ。

本当の即戦力とは、資質のことではないか。

[社会問題]指導力不足教員を免職 大阪市教委


「三角形は一つの曲線と二つの曲線に囲まれる」??あきれた教師、分限免職


「あきれた」とか見出して使うなって。
また祭りになって、教師不信への薪になってくんだろうなと思ったら

意外と学ぶ機会に恵まれた。

BLOGってすごい。

指導力不足教員を免職 大阪市教委、16年以来5人目

教育現場と報道

所詮スポーツ新聞だから(特別支援学校の教諭免職問題)

事態を重く見た教育委員会では(中略)校外研修を行った。が、ここでも、助言や指導に対し「言い過ぎだ」「中傷だ」と声を荒らげ、逆ギレ。

 教師としての資質ということで言えば、こっちの方が問題でしょう。しかしその「校外研修」とやらがどういう形で行われていたのかにもよる。「とにかくこいつを辞めさせろ」的な空気で進んでいたのなら、逆ギレもあり得るし、そうでなくても教師というのはプライドの高いものだからなあ、とは思う。


本質の捉え方がするどい。悲観するエントリーでも他と全然違う。

触れるまいと思ってたけど、

予想以上に勉強になったので感謝のエントリーを。

特支で働く先輩や特支コースに進学する後輩達、

頑張ってください。

競争について考えさせるべきたった一つの大事なこと

競争について子供に教えるべき3つのこと

結論からいうと、3つとは

1. 世界は競争に満ちている

2. 決められたルールで競争するのは既に負けである

3. 競争すべき相手を誤るのもまた負けである



これは「教育内容」であって「教育」ではなく、ただの「教授」です。

内容には賛成で、大事なのはこれらを踏まえた上で

「誰と誰が幸せになる競争か」を考えさせることです。

自分が幸せになるのは別に悪くない、前提で構わないが、それだけでなく自分と誰が幸せになるのかを考える必要があります。負けても幸せにはなれるのだから。

更に大事な要素は以下

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改行や改頁って著作権にならないの??

「あの頃、あの詩を」を読んでいてふと思ったので別エントリー。

タイトルの通り、改行や改頁は著作者の表現の一部か、そして、それが守られなかった場合、著作権違反に当たるのかという問題。

改行だけではない、ひらがなやカタカナ、ルビなども含めて。縦書き横書きまで含めると話が収束しない気がする。

改行によって間を持たせることで、詩に深みがますことは誰もが経験的に知っていると思うんだけど、

例えば宮沢賢治。

雨ニモマケズ

?改頁?

風にも負けず




と表記されたらいろんな意味で盛り下がるだろうが、

表記としてはあり得る話。

これでも同一性は保持されたと言えるのだろうか。

書評-あの頃、あの詩を-

普通のことしか言えませんが、詩はいいもんだなぁと。

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