女市長さんのドラマの再放送を見ていて思った。

能力よりも信頼が大事と言うことは選挙のシステムができたときからわかっていたことなんだろうけど、

信頼を量る指標がないので、支持している人の数で人を裁量するしかないんだなーと考えました。
政治って複雑だなーと思うのはそこに多くの人の異見が存在するから。

最近知った言葉に

「すべての人を傷つけないように語ることはできない。いや、できるかもしれない。しかし、そのときは真実を語ることを放棄しなければならない」

という言葉があります。

議論の場ですべての異見を聞けば真実は見えなくなるんだろうなとおもいます。

それとも一つ。パワーバランスです。

偉い人の発言力。

言っていることが正しくなくても権威があり、皆が反論できず物事が決定してしまう発言力、ポジションパワーバランス。

それに対し発言力こそないものの裏づけのある知識を豊富に持っている人、例えば多くの大学の先生など有識者が公に対してもつ発言力はスキルパワーバランス。

ポジションパワーバランスで話が進むとアカウンタビリティに乏しかったり談合など不祥事が起きる可能性が高いというデメリットがある。

しかしスキルパワーバランスばかりだと民意が反映されない可能性がある。

政治はポジションよりスキルで選ぶべきだ、と一瞬考えたのですが、

これのさらにややこしいことはスキルがある人は地位も高くなる事が多いと言うこと。



関連して別件。

昔年上だから何が偉いのか、とずーっと考えていたことがあります。

若くしても研究や学識で結果を上げている人は多いのになぜ年上に頭を下げる必要があるのか。

これはむしろ勉強して初めてわかる。

文献から『概念知識』はいくらでも得られる時代だ。

しかし年上には年上が経験した『経験知識』があるのだ。

いくら概念知識から理想を語っても、経験知識から述べられる結論の信頼性には届かないと判断される場合が多いのだ。

教育はこうあるべきだと教員志望の学生がいくら声高に叫んでも、現場の先生の一言にはかなわない。

しかもその声は正解である場合が多いと言う経験知識も得られてきました。


両方の件からFDって大事だなーととっぴな結論が出ました。


【参加募集中】ファカルティ・ディヴェロップメント2.0 ワークショップより

一般には、FDというのは「個々の教員が、自分の授業をカイゼンする試み」だと理解されています。シラバスをつくったり、評価を実施したり、授業を撮影するなどして、とにかくPDCAのサイクルをまわし、「授業をカイゼンする不断の活動」だと理解されている。

すなわち自省を繰り返し、「経験知識からより多くの知見を得る」ことこそスキルなんだなぁと思う次第です。

役割は人を作ると言いますが、偉くなっても日々スキル向上に努める姿勢を持たねばと思います。

学科内でも最高齢の部類に入ってきましたが、大きな顔をせずに話をしているか日々反省・反芻をするようにしています。


話が飛びますが河合隼雄氏がなくなったようですね
昔モンキーセンターの記事を読んでちょっと目からうろこだった覚えがあります。

ご冥福をお祈りします。