教員採用一次試験が無事終わったので報告しておきます。

昨日お疲れ会のようなものを研究室で行いました。

先生や後輩たちと熱い?議論を繰り広げたのが印象深かったです。

事前に読んだ本が思いのほか役立ったので紹介しておきますが

論作文で「俯瞰性」を「ロ府観性」と間違った字を書いてしまったのでもう悲しいやらなにやら。



しかし本記事の核は別の話。
本書の冒頭に「本書は、教員を目指す人にとって必要な情報を、幅広く網羅しています」とある。

逆説的に教員を目指すためには幅広い情報を見る力が必要だと言うことでしょう。

本書についてはココまで。



デリケートな話題になるので、書くか躊躇しましたが書いておきます。

もう一週間ほど前になるが留学生のOさんと商業高校から研究員として派遣中のS先生と議論をした。

発端は朝鮮の半日運動が60年続いていることについて。

朝鮮には戦争についての歴史資料がたくさんあると言います。

Oさんが、日本の近代史の教科書になぜ戦争についての情報が少ないのか、と質問してきたのです。

僕はまず中国と日本の現状を大雑把に語りました。

「中国には愛国教育がある。また、そうした戦争教育からどんな結論・知見を導き出したいんだとOさんは考えますか?」

というとOさんは「事実を知ることが重要だ」と答えました。

「日本では、戦争教育は戦争は追放すべきだ、という知見を得るために行われます。これは憲法とかでも定められています。

しかし、戦争事実を多く突きつけ、愛国心教育が作用すれば、

自然と相手国がひどい事をしたと言う(ここでは)半日教育的な知見にしかなりえないんじゃないですか」

と答えた。

「もちろん、日本が昔した事が悪くないと言うつもりはない、一部の軍部の暴走なんかも想像できるし。」

S先生は「教科書に書いてないことについては、確かに為政的な部分もある。率直に今の日本の政治について留学生の視点ではどうなの?」

と議論は続いていった。

池田氏のエントリーを読んでいたのでひらめいたのだが、率直に言って、政治も教育も、裏に隠れた一番の問題点は排他的ナショナリズムである。

ナショナリズムとはココでは集団に帰属する意識、と考えてほしいです。

ナショナリズムが悪いとは言いません、帰属集団に対し愛着などを持つことで強いモチベーションにつながったり、メリットは大きい。
これは学生のとき、サークル活動などで多くの学生が経験すると思います。

しかし『ナショナリズムが強くなると、どうしても排他的になってしまう』部分がある。

ココが一番問題。自分たちの集団が大好き、だから他や他集団に対し無関心であったり、嫌悪感を持つことさえある。

この排他的ナショナリズムの部分が問題であり、しかし意外と自覚している大人も少ないのではないか。

多くの先輩や同期が教師として働いている今、「教師すらもこれを自覚していないことがある」と言えるのが恐ろしい。

なぜいじめが起きるか、これは集団意識・帰属意識から排他的ナショナリズムが起きるから。

例えば、「仲間はずれ」にするために、まず「仲間」があるのだ。

 発言力と言うパラメータはあるものの、その集団に自分がいることが相応しくて、相応しくないと思ったから、その子どもは相手の子どもを「仲間ははずれ」にしようとする。

考えなければいけないのはいじめの善悪でなく、ナショナリズムだ。



なぜいじめたのかと言われれば、そいつが気に食わなかったから

なぜ気に食わなかったのか、具体的な理由は数あれど、抽象化してしまえばそれはナショナリズムに過ぎない事がほとんどだ。

ナショナリズムに由来しないいじめを片付けることは、簡単であると思うのです。



今回の中国の例も、為政的にか、反戦教育かはわかりませんが、結果的に排他的ナショナリズムを教育してしまったのではないかと思います。

Oさんもそう言います。

『授業の復権』P100?
(TOSSの向山)氏は、ある時、広島で平和教育を実践してきたと言う教員グループから講演の依頼を受けた。氏が公演の席上、「十五年戦争の間に何があったか、一年ごとに書いてみてください」と設問を投げかけたところ、良くて七つ、ひどいと三つくらいしか解答が来なかったと言う。

この本では、平和教育を語る上での知識でなく姿勢が問題であると言っていますが、これくらいがもしかしたらいいのかもしれません。



排他的ナショナリズムはどこにでもあります。きっと本能や習性として備わっているもので、無くすことは不可能です。

山形氏の記事のように、いま愛国心を考える、すなわち、ナショナリズムを考える時期に来ているのだと思います。

なぜ国である必要があるのかを考えることは非常に重要です。

しかし理由には愛着や郷土愛だけでなく、言語、経済、文化、効率とさまざまなメリットがあります。

それを自覚せず短絡的に、もしくはステレオタイプ的になることこそ問題ではないでしょうか。

また他のものに置き換えてなぜ自分がその集団にナショナリズムを持つかを考える必要があるはずです。