最近BLOGの話題が重いと言われたのでここいらでライトな話題。

10年以上前から親しまれている巨大掲示板2chの企画人であり管理人、西村博之氏(以下敬愛をこめてひろゆき)の無意欲作。

彼のすごいところは本当に難しい言葉を使わず難しいことを説明できることだろう。

そう、難しい言葉を使わずにというのは単語のレベルが簡単であるとか三段論法のように単純な論理構造だとか、極端で身近な反証だとかなのだがそこらへんには今回は触れない。

教師にとって必要な技術だと思うのだが、教師は10を知って1を語る仕事なので。BLOGで書きたいことがたまるたびに、これを思いだす。

表題は『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』パロディ

作者同士がこれを良かれとし認め合ったのは、パロディ化をお家芸とする2chの管理人ならではのものだろう。と言いたいが、そうでもない。

それでさらに著作権論議なんかに本書で入ってるんだから皮肉もここまでいくとエンターテイメントだ!!

などと絶賛できるものである。このさっぱり感がすき。

ここら辺の話は別名WEB楽観論(ほめ言葉)こと『フューチャリスト宣言』あたりまでを踏まえていないとわからないかもしれない(著名なBLOG回ってたらそうでもないかな)が

[4.0]での対談中、佐々木俊尚氏にひろゆきが「悲観的である」と指摘をうける。僕はそうは思わない。

楽観と悲観って、どちらに偏るとかじゃなく、スパイラルだと思うのだ。

いろんな可能性がある!と楽観的に投資・開発し技術を進化させ、進化しすぎた技術や増えすぎた投資に対し悲観的に危険だ!と言って技術以外の部分の整備を繰り返す。

そのスパイラルは個人の技能にしても、社会規模の技術開発と法律にしても一緒だと思うのだ。

「結果的に」とか「原点に返れば」とか言えば楽観か悲観か出るかもしれないが、まだなにか完結したわけじゃないし原点と現状が同じ人なんているだろうか。

なのでひろゆきもツンデレの一種に他ならない。とぼくは見る。

梅田氏とは時系列もしくは段階的な立ち位置が違うのだ。

思えば2ちゃんねるも高校生のころに知り、大学に入って遠ざかっていたが、

僕の知らない間もさまざまな文化を生み出していることは確かなようだ。

有名なBLOGの女王しょこたんも2chに毒されているわけだし。
(いや利用していると言ったほうがいいのかな?こんな言葉使いたくないなぁアイドルだし。)


少し前の記憶だが、NHKを見ていると『大学から学生運動が消えた日』という内容の特集をやっていた。

その中で学生運動は国を巻き込んだ若者の『自分探し』である。

そしてその(発散)場所がインターネットに移った。

という説を紹介していたのに妙に納得してしまった。その代表格が2chであろう。

そして2chを利用する中高年(30?40代)が増えているのも事実。

この自分探しが(一生で完結するとは思わないので)一段落していない大人たちが増えているであろうことに、なぜか妙に納得してしまった。

インターネットは日本の抱える闇ではない。

そんなことが言いたかったのだろう。

情報教育で散々取り上げられる話題だが、インターネットの普及と事件の増加も、車の普及と交通事故の増加と同様に、ちょっとずつパラダイムシフトすべき時期なのかもしれない。

余談だが小飼弾氏との対談の中のプログラムについての部分は蛇足だったなとも思う。プログラムを語りたいんじゃなくてその裏の現状分析とか精神論を皆聞きたいし語りたかったのではと思う。

2chを利用する人からライトユーザまでの幅広く読める本となってほしかった。

最終的に技術経営が大事だと言う話に収束したのはMOT教育を考える立場としては嬉しかった。

博多駅の新幹線乗り場でふと見つけたので買ったのだが、手に取ったのは第三刷。

誤植が反映されているのもすごいが



まだ誤植が残っているのを読んでいて見つけたんだけどどこかわからない。

見つけ次第更新できたらと思います。