現在三重大学には宇都宮大学から丸山先生がお越しになっていて、僕はその集中講義を受講しています。
技術教育史は非常に興味深くためになります。


 また昨夜は、食事会の後に後輩のO君と教育実習について話しました。
せっかくなのでそのとき伝えたメッセージとともに、僕の失敗談からいくつか教育実習生へのメッセージを書いておきたいと思います。


1、風紀とアイデンティティを考えよう

茶髪など髪形を変えて実習に望むことはよいかを考えよう。
僕は事前指導にパーマで茶髪で行って大目玉を食らった。
若いうちはアイデンティティを容姿に求めがちだ。
大学生でさえそうなのだから小中学生の子どもたちはどうだろうか。

しかし、現実社会ではアイデンティティは容姿ではなくネットワークで決まるものだ。
あなたの役割や地位、家族や所属している団体、趣味や友達などできまるものであり、あなた自身では決まらない。人とのつながりが多く濃い人ほど自分が何者かと言うことを分かっている。顔容姿は恋人や家族以外にとって識別信号でしかない。それを子どもに伝える必要がある。

そして教壇に立つと言うことは先生と同じ責任を持つということだ、
生徒やその親にとっては現職でも実習生でも教壇に立てば同じ先生。
さらに実習生には実習工だけでなく大学を代表する責任も伴うということ。

実習校の僕の担当だった先生は「確かにもう茶髪は市民権を得ている」とおっしゃっていました。
けれども、きっと大事なのは体で責任持っていることを示す姿勢です。
派手にしないことはその一番簡単な方法なのです。


2、学問背景を踏まえた上で子どもとの関わり合いを考えよう

学問背景として実習段階で知っておくべきは2つだと思います。

・学習や成長発達は現在は行動主義である。
→学習とは知識を学んでそれが行動に表れること。この考えは非常に大事。
知識を教えてそれをテストで応えられることは決して成長したとか学習したことにはならない。頭に置いておこう。指導案の目的や目標はこれを踏まえて書く必要がある。

・教育の目的を「倫理学」に、手法を「心理学」に求める。現在教育の目的は
→ヘルバルトの言葉。教育の手法は心理学だ。
 子どもたちとかかわる場合心理学に基づいたコーチング技術くらいは知っておいていいだろうし、具体的な技術で言ったらハンバーガー理論とかも多分指導されるだろう。この二つくらいはベーシックだし知っておいて損はない。

コーチングとは相手の話にうなずき、それに対し自分の意見を言うのでなく質問を投げかけて相手の言いたいことを整理してあげる手法。これによって得る学習効果は大きい。

ハンバーガー理論は相手の行動やレスポンスに対して、最初はほめて次にだめなところを指摘し、最後はほめるというもの。

「はきはき発表できていて非常にいい、ただ、内容は考えなおす必要がある、素質があるからがんばってほしい」

と伝えるのと

「内容を考え直さなきゃいけない。発表ははきはきと立派なのに、もっとがんばってほしい」

と伝えるのでは印象が違う。後者はせっかくほめてもとってつけたような印象になってしまう。

最初に否定する人間は嫌われる。特に子どもは顕著に嫌う。
特に代案も持たずに否定をすることだけは子ども相手でなくとも避けるべきです。


3、あなたのキャラが子どものためになるか考えよう

中学生にとって教育実習生と言うのは先生でもないし学生でもない不思議な存在です。
僕自身子どもを叱るのは得意じゃなかったけど、子どもにとってその行為が不利益だと感じた場合は、子どもにやめさせるよう努力をした。
その他の場合は必要以上におどけて子どもたちを笑わせるよう務めた。
この授業時間外の関係作りの努力の成果は、授業時間に円滑に進むかと言う部分になって表れる。
中学生は興味があることにはすぐに鼻をきかせて寄ってくる。
当然実習生のパーソナルな部分もその対象だ。
あなたは子どもたちにとってアイドルになるが、それが重要なわけではない。
少しずれた変な先生のほうが子どもたちも新たな視点や知見を得られるが人気が出るとは限らない。
適切に叱る先生が一番理想的だったがそれは自分のキャラではなかったし(話し合って解決させるタイプと言う意味で)。

そのあなたのキャラクターが子どもたちの成長にどう役立つかを考えておこう。必要であれば演じることも必要だろう。
嫌われても子どものためになるのなら宿題を出すべきだろう。



4、子どもの成長とともに自分の成長を考えよう。

かつて中高生のときは、教師の仕事は、斉藤孝氏の言葉を借りれば「自分がストックしている知識を下に流していく卸」のような仕事と言う印象があった。

あなたは教育実習に行ってそれは違うということを実感するでしょう。

そして教えるためにも深めた教材研究が必要だと気付くでしょう。

しかし、教材自体の特性など教える内容をまったく知らないのは問題だが
教材とその周辺まですべてを知っている必要は必ずしもない。

生徒はきっとこちらが予想だにしない(少なくとも経験がなければ予想不可能な)とっぴな質問をぶつけてくる。
これに知識をもって応えるだけが教育ではない。
わからなければ調べさせる、考えさせる、知っている人に説明させるなどの学習の機会を作ることが大切だ。ただその際、教材の安全性だけは把握しておきたい。

自分がすべてを知っていて知識を教える必要があると驕るのではなく、わからないことや疑問は一緒に学び解決するという姿勢が大事だ。



5、現場の教師と自分の違いを考えよう


これは教育実習に対してもっともベーシックでもっとも必要な知見だ。
現職の教員と自分を比べてその隙間を模倣によって埋める、これが成長にもっとも近いショートカットであろう。

担任や教科担当の先生と実習生、一番違うのは立場・スタンスである。
まず担任は最低一年間そのクラスを受け持つのに対して
日本の教育実習生は長くて1ヶ月程度だ。
担任が長距離走なのに対し実習生は短距離走であることを自覚して加速減速しなければならない。

例えば子どもと人間関係を築く場合でも、担任と同じ立場であろうとするならば、担任が一ヶ月かかって作り上げる人間関係を、実習生は1週間以内に作りあげる必要がある。

急速に濃い関わり合いをするのだから人気が出るのは当たり前だし、担任に人気がないわけでも指導力がないわけでもない。
経験からあなたはしばらく実習をしていて「先生と変わってずっと教えてよ」といわれるだろうがそれで過信してはいけない。

あと子どもがハプニングをおこしたときなども自分ができることを考えよう。
子どもが怪我をして、無我夢中で抱えて保健室に走り、ほめられた記憶がある。
治療には保険医と言うプロがいる、指導には先生と言うプロがいる。
判断基準は、プロに頼ることを前提に自分ができる最善を考えればよいと思う。


6、こなす+一つ目標を持とう

実習に対してうまく乗り切ろうとか難なくこなそうとかそういう気概であればいやいや勉強をする中学生と変わらない。
少なくともそういう態度で望んでいることが分かれば、扱いは変わらなくても、担当の先生は中学生と同じレベルという認識で見ることになるだろう。

勉強と学習の違いである。

先生が与えた課題+自ら目標を持ちそれをクリアすること。
これは学習になるし後の自信にもなる。
何でもいい。先生の集団を動かす技術を一つ盗むとか、子どもに怪我をさせないとか、休み時間は必ず子どもと接するとか、怪我をさせないとか。



あとはいう必要もないと思うけど子どもたちへのメッセージを持つこと。
これを学ぶのは学術的にこんな意義があるんだよと大人の目線で語っても意味がない。
僕は実習の最後に技術科でものづくりをする意義について
「物は作らなくても100円ショップで何でも買える時代。中途半端にやるとめんどくさいしゴミもでる。別にやらなくてもいい。でも作ったら楽しかったでしょう?
自分がやらなくてもいいけど、やってみれば楽しいことはこれから世の中に出るとたくさんある。ぜひこれからたくさん挑戦してほしい」
とメッセージを伝えた。

充実した実習が送りたいのであれば、ぜひこれらのことを踏まえて意識してみてほしい。