田村隆一の、人生相談は、若いうちに

→若いうちの人生相談は、結局背中を押してほしかったりするだけだったりする。ちょうどタイムリーにシーソーの上でゆれてます。
どうするべきか、、、うーん。。。


『脳のなかの幽霊、ふたたび――見えてきた心のしくみ』
V・S・ラマチャンドラン

→幻肢かぁ。
 朝起きると腕が感覚がないのに動いたりするあの感覚に似てるのだろうか。
むしろ今の自分は手や足や頭があるのに、人並み以上に働いてない状態である気がしてならない。



テロについて、知りたい情報が入手できないわけ
→論点が二つある。
一つ目はテロも災害も時間がたてば史実にしかならない。その上史実が事実とは限らないだろうということ。

二つ目はCIAですら、技術に踊らされているということ。
技術は道具であり、人間を拡張するものではない。人間の可能性を拡張するものだ。
人工衛星は写真は取れるけど、目の代わりにはならない。
車椅子は移動はできるけど、足の代わりにはならない。
スピーカーは音は出せるけど僕の意識を勝手に代弁することはない。
少なくともドラえもんの時代までは。



ジンジャー/セグウェイと新しい都市の可能性

→山形氏らしからぬ少しもったいないエントリー。
なんで小型の電動自転車を貸し出さないかという視点は出てこないのだろう?
これはきっと利権の問題が絡んでくる。
問題があるのに、そしてある程度解決の見通しも賢い人なら出せるだろうに
一向に問題が解決しない場合、得てして利権だ。
多分、交通渋滞のほうが車内用の暇つぶし産業が儲けるのだろうし、渋滞による事故で配車が増えればクルマ会社は設ける。

とまぁまったくいい例が浮かばなかったけど、そんなことが言いたかったんじゃないかなと思う。



じおぽりちっくすみたいなのと援助と国と。

→国の醸成と援助の関係は前に読んだとおり子どもと教育の関係だ。
愛国心教育とかじゃなく、さまざまな思想が、援助によりナショナリズムを持つことが望ましいという意味で。
さまざまな子どもが教育・特に学習活動の中で連帯感を持つように。

なにか不自然だけど人間はココに安心感と言うか、気持ちよさみたいなのを感じるようにできている。

でも、もう一度メタナショナリズムを考える必要がある。