先日後輩の日記に自分で書き込んで自分でびっくりした言葉があった。

「ただ子どもたちと触れ合いたいなら、学童の先生にでもなればよい。子どもたちの成長を真剣に考えるからこそ教師になるべきだ」

別に職業に貴賎があるわけではないし、学童は重要なものである。

ただ、目的が違う。

学童の目的は子どもたちの生活の保護にある。

なぜ先生になりたいかと言われたとき、

子どもが好きだから、と言う理由だけでは、

なぜ学童ではないのか、と言うのに説明がつかない。

さらに、勉強が大事だと思うから、と言う理由だけでは

なぜ塾講師ではないのか、と言うのに説明がつかない。

プロとしてアカウンタビリティが求められるし、僕も後輩たちもそれに対して応えられる教育観、子ども観を身につけることができればと思う。
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→すごいたたかれてますね。

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メディアで流布している「説明」に対して「ちょっと、それは違うんじゃないのかな・・・」という違和感があるときに、自分を納得させることのできる、身体的な実感のあることばを自力で書いてみること。
それがたいせつだ。


「正しいこと」と「いいこと」は違う。