啓蒙する死体群

→「誰しも死の前では平等だ」
と言う言葉を思い出した。
この博物館は一生涯行きたいと思わない施設の一つだろうし
それだけで自分の人間が小さいとも自覚できる、それだけでも有意義な施設である。
でもできるなら僕は「死」と言う言葉すら使いたくないのだ。
昔から感情や痛みにはどうしても同調してしまう。
そしてそこにいけばどうしても同調は避けられないのだと思う。
だから怖いのだ。
死に同調するとはどういう状態だろう。
ここ数年で、友人も、遠い親戚も、祖母も、亡くなった。
その時は生きてる僕ですら喪失感だけだった。
自分自身を喪失する死体はどんな気持ちなんだろうか。
情報理論の創始者クロード・シャノン氏が死去

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書評 - なぜ若者は「半径1m以内」で生活したがるのか?

ニコニ考 - ニコニコ道が見えてきた

線がはっきりわかって誰もニコニコしていないのと、線はおぼろげで見えないけどみんながニコニコしているのとどちらがよいか

未来を知ることができる2つの方法

→未来について知っていることは未来は知りえないことと、予測したものとは違うものであること

それでも未来を知る方法はある
・未来を作ること
・すでに起こった未来を知ること

「東大ナビ」広報開始!

→三重大でもこういうの作ってもらえないですか?>奥村先生・・・

大学は、なぜ大学院生を増やしたいのか

【エッセイ】学習のレベル

→僕の頭の中では学習論はほぼ行動主義。構成主義も別に矛盾しないし、その一つだと思ってるし、なんだろうなぁ、軸が違うというか、MBAとMOTと知財みたいな。

ピカソって何が凄いの?みんな分かったフリしてるだけだろ?

→これは、予想以上に勉強になった 笑
体育なんかを例に考えるけど、皆生まれつきの楽しさとかすごさみたいなのに執着しがち。音楽や美術みたいに、感性だけでなく、やってみてはじめてわかる技術や思想のすばらしさを理解する教育をもっと行うべきなんだろうね。