面白い記事を読んだ

暴論:「大人」は免許制にしたらどうかより
大人として扱うかどうかを年齢だけで決めるのはどうも具合が悪くないか?いっそ免許制にでもしてしまったらどうだろうか、と。

年齢でってことは、大人の対岸にいるのは子どもである。
たぶん、そんなのはエリート主義だとか、憲法違反だとか、政府の責任を逃れさせようとしてるとか、いろいろな意見があると思う。コストはどうするんだとか、それ自体過剰な規制だとか、中途半端なお墨付きはかえって危険だとかいう懸念もあるだろう。


そんな反論はまったく考えないが、この提言には全面的に同意しかねる。
その根拠は、”いつから大人はそんなに偉くなったのか。”である。自分を大人と思っている人たちはいつから自分が大人であると感じ、子どもを見下げるようになったのか覚えているだろうか。子どもの頃、先輩や大人に対して「自分より先に生まれただけのくせに」と感じていなかっただろうか。

これはつまり、大人か子どもかの二元論じゃなくて、領域の問題であると認識することから始まる。
この間高校の先生に、「高校生は大人か」という議題に対し意見を求められた。私は大人であると応えた。中学校を卒業した段階で普通教育、すなわち皆に必要な教育は終わっているはずである。それからは社会の流れとはいえ、自分の責任で人生の進路を選択する。ほとんどの子どもが進学を希望する。
つまり、山口氏の言う少なからず自分の能力と責任を考えた上で自由に選択した"大人"なのだ。

だがこれには補足が必要で、彼らは"子どもよりの大人"である。領域の問題といったとおり、子どもと大人は地続きで、彼らは子どもに近い大人という立ち位置である。
もっと言うと完全な大人な大人なんていないんじゃないか。
私も成人式は結構前に迎えたが、いまだに自分を子どもよりの大人だと思っている。大人になっても成長することを忘れてはいけない。

そして誰を持って完全な大人(つまり最終的なゴール)だと言い切るのかをまず問いたい。

理想の大人像とは、菩薩か、釈迦か、ブッダか、ゼウスか、マリアか、キリストか。まずそれを社会全体として示すべきだろう。が、今の日本では候補が上がったとしても、その統一はほぼ不可能ではないだろうか。マスコミや教育界では現状の問題に対処する教育が主流になり、例えばタバコや飲酒、薬物など、「しないこと」ばかりが大人の道徳・モラル力として取りざたされている。

しかし考えてほしい、本当の道徳力ってなんだろう?大人になるって何をすることだろう。

答えは単純で、悪いことをしないことではなくて、いい事をすることではないかと私は思う。

免許制は悪いことをしないよう禁止する行為でしかない。
しかし国民が求める大人は、"人のためになることをする人"であることではないだろうか。

むしろ免許ではなく勲章が必要なのだ。それも名誉だけでなくメリットつきの。あなたはいい事をしました、だから優遇しますよ、と。

例えば電車の中でよく席を譲ってくれる人は、電車賃を少し割引します。とか、その程度の話を想定している。

もちろんその勲章の判断基準も難しいが、少なくとも大人免許よりは複雑なものにはならないはずだ。

もう一つ、最近あった事例を話しておこう。

電車に乗って津に帰っているときのことだったのだが、おばあさんが駅を降りるとき、上のあみ棚から荷物を取ろうとしていた。
しかし、イスの上に乗っても身長が足りずがんばっていると、向かいに座っていた青年が荷物を取ってあげたのだ。

言い訳がましいが僕は寝起きで状況を把握できず動けなかった。そしてその青年はいい事をしたなぁと優しい気持ちになっていたら、変なおじさんが、酔っ払ったかおをして、あろうことかその青年の隣の男性に「あんたなぁ、だまっとってもあかんねん、手伝どうたらな!」と一言説教してその車両を後にしていった。

その時点で、あなたは隣の男性を叱るのでなく青年を褒めるべきだと後味悪く思っていた。だが、叱られた男性は別の駅で電車を降りるとき、足を引きずっていたのだ。彼が本当に足を汚していたのだとしたら、あの状況で、動きたくても動けなかっただろうに。もどかしい上にさらに親切にしろと言われる始末。

このことから親切の押し売りもNGだと主張したい。
本当に純粋に善意からの自発的な行動を評価することが望ましい。

戦後からモラル低下が叫ばれて久しいが、その対処として日本には褒めて伸ばすと言う教育が浸透していない印象があった。もちろん僕の記憶からの話なので、この十数年でおそらくそれらは改善されているだろうと思いたい。むしろこの寛容で褒める態度こそ、教育者だけでなく大人がみな持つべき態度であると私は考える。
とネタにマジレス。