新年もマシンガン その1:「嫌なら見るな」を撲滅したい

自分がやられて嫌な事は人にするな、というだけ。

■[インターネット][ルール][コミュニケーション]「嫌なら見るな」の本当の意味

論点ずらすけどさ、問題の原点としては、文句言う対象が違うんだよ。
「文句を言う」、言い換えると「意見する」というのは積み重ねる事が前提だよね。

好き嫌いの議論を積み重ねても、執着心にしかならない。論者同士、お互いの自己満足か不満だけで終わり、誰も得しない。

積み重ねるべきは、例えば表現技術だとか、
意見をぶつけて妥協点を取る場合だとか、
記事や本をよりよくする事が前提だったりとか、
あくまでBLOGや本の先にはこれを書いた人がいるとか、
世の中意外とこれを知らない(わかってない?)人が多すぎる。

世界的にキー・コンピテンシーとして子ども達に身につけさせようぜと議論が起きてるくらいだから間違いない。


結論から言うと高めあわなければ交流する意味はない


例えば、いくら感動する話を体験したり作ったりしても、技術がなければ伝わらない、十分に伝えられないですよね。だからまず技術的な部分を積み重ねるべき。そういう部分に対してのみ文句を言うべき。

違和感→指摘→改善案→改善

と、PDCAサイクルのCの一つにしてしまう事がコンテンツメーカーには必要だし。

褒めてばかりの読書感想サイトと、健気な美少女作家のこと
また、視点を変えることで、つまらない作品でも面白く読めることがある。代表的なものとしては「テニプリはギャグとして見れば面白い」というやつ。気に入らない作品から気に入らないところを切り捨てていった結果、本来の作品からは掛け離れた、というかまったく別の作品として受容するようになる。読者としてはそれでいいと思う。


って視点もある。

意見をかわすより「ありがとう」って言えばいいと思うよ。

って視点もある。

あ、無責任に情報を曲解して、人にネガティブな影響を与える本には突っ込みや注釈を入れる必要があるよね「この本読んでない人、読んでも良いけど結構痛い、読むと茨の道だよ」的な。元々の議論はラノベとかアニメ作品が対象だからそこら辺は論外かな?

でもまぁ、表現の自由がある以上、どれを意識してやるかは自由だ。ネットで書き込みする人は自己責任論くらいみんな前提として書いてるだろうし。

あと一つ言っておきたいのが、ヒドゥンメッセージ。言葉の裏って奴。

「嫌なら見るな」という意見一つとっても、そのヒドゥンメッセージは「同意・共感してくれるなら見ろ」ではない、「見て、同意・共感してくれたら嬉しいな」なのだ。

「神様を信じる」のヒドゥンメッセージは、「神様の存在を信じる」ではない、「神様が仰ったと言われる言葉たち(の存在)を信じる」なのだ。

「生きるのがつらいから死のう」のヒドゥンメッセージは「自分が不甲斐ないから死にたい」ではない、「より良い環境や状況で生きられるのであれば生きたい」なのだ。

そこら辺空気よりもヒドゥンメッセージ嫁、と言いたい。