現代人の文章読解能力が落ちたと言うが、ちょっと違う気がするのは気のせいだろうか。

読書感想文「リアル鬼ごっこ」 山田悠介著
世間の評価を色々見てみると、「小説好きは読むな」「大人は読むな」「子供しか楽しめない」などという意見が多いです。ただ、ボクはそのいずれも違うのではないか、と思います。確かに小説が好きな人やまともな言語力を持つ方はこの文体に呆れ返り、読む気にはなれないでしょうが、だからといってそれを子供に読ませるのは間違いです。まだ読解力が未熟なうちにこの本を読ませると、後にどんな悪影響を及ぼしてしまうか、それを想像するだけで恐ろしくなります。「リアル鬼ごっこ」は「一般的な知識と日本語力を持つ人が読み、突っ込みながら怒ったり笑ったりする」という本なのです。


[最近読んだ] 携帯小説
別にこの文化を否定するつもりも排他するつもりもないが、
ファーストフードのような文章ばかりを食べていても体(心)に良くない。
しかし悲観すべき事ばかりではない。
この文章で感動できる人たちが多いということは、
日本はまだまだ情操教育が十分機能していると言うことだし。


ファーストフードの味付けは「読める行間」と「思考停止スイッチ」。
なぜ文学ではない!とまでけなされるこれらの作品が売れるのか。

話題性も確かにあるだろうけど、共感できる層がいるという事実について、考察せねばならないと思ったんだけど意外と簡単にひらめいた。

彼/彼女らは『読解』でなく『鑑賞』していたのだ。
書評-「教育の崩壊」という嘘-より
しかし、子ども側はそんな変化してしまった社会や大人たちに対して自分の意見をはっきりと持っており、アンケートにはそれが示されていた。
著者はアンケートに対しこう締めている。

P285より
アンケートの結果はわたしの予想を超えていた。中学生たちは、将来に不安を持ちつつ、周囲の大人が生き方を示せないことに苛立ちながら、何かわくわくすることを探そうとしていて、そして何とかサバイバルしようとしている。


これらのコンテンツの読者のほとんどが若い層だという。だとすればこれらの本だろうが人生だろうが楽しめる/楽しみを見つける力こそ若い層特有のこのサバイブ能力なのだろう。
彼/彼女らは、ロジカルに展開されない文章の行と行の間に何があったかを勝手に妄想して納得してしまう力がある。同時に、そこに何があったのか妄想できる「読める行間」があるのだ。

自分がこうだったらつらいよなぁ、と勝手に読み取った主人公の感情を自分に移し替え、泣く。笑う。勇気をもらう。



そしてもう一つのスパイスが「思考停止スイッチ」である。

若いうちは、何か名言めいた一言が欲しいのである。それも自分の気持ちに対し、何か裏付けとなる一言や相槌がほしい。それは友人の一言でもいいし、携帯小説の一行でもいいのだ。携帯小説はメールのように自分に言葉を投げかけてくる書体で書かれている。これらはそういう意味で、文学ではなくカウンセリングコンテンツなのだ。普段「学校の授業って面白くないよねー」という一言に対して「だよねー」という一言が欲しいのと同じであり、本当に授業が面白くないかという授業の質は問題ではないのだろう。

また、「死」や「病気」、「中絶」や「浮気」といった、すぐ隣にありそうな単語には反応してしまう。それを体験する自分が暴走し、涙してしまう。

なんてこと無い、結局は本文に共感しているのでなく、自分が創り出した妄想に共感し、涙し、満足してしまうだけだ。そう考えると、我々が若いときに星新一や太宰治で感動するのと同じようなものだ。そう考えると、現代の名文は、明文でなく「読める行間」と「思考停止スイッチ」なのかもしれない。
文章を咀嚼し飲み込む。その咀嚼の仕方が違うだけ、いや本質的には同じなのカッもしれない。若いうちは味付けの濃いモノも好きだったし、油っこいモノも平気で食べることができた。

若いうちに持っていた何かを失ったのは大人の方なのかもしれない。

なんだ若い層は創造力も感受性も十分ではないか、日本の未来は明るい。