梅田氏は好きだし、言ってることも大半は同意できるんだけど、前作「フューチャリスト宣言」が良著だったせいか、少し期待はずれ。

メイキング・オブ「ウェブ時代をゆく」より本人曰く
「頭で読む人」には、今回の『ウェブ時代をゆく』は受け入れにくい面があるかもしれません。ちなみに『ウェブ進化論』は「頭で読む人」にもOKな本です。「頭で読む人」というのは、そこに書いているファクトが新しいかどうか、自分が知らないことが書かれているかどうかをチェックするという読み方をします。遠いところから「本に書かれている知」を傍観者として論評します。
 一方、市井の人々、もがきながら生きている人は心で読む。『ウェブ時代をゆく』は「心で読む」人に向けて書いた本であり、そういう人たちにはきっちりとどいていると、感想を読みながら感じています。


僕は本当に頭で読んだのだろうか。

本書に感じた一番の不満は視点の偏りと狭さである。

本書は
1.言葉が使えて
2.PC環境を整える程度の経済力があり
3.インターネットにそれなりの知識や理解があり
4.自分の「好き」が理解できる
人でなければ読むことができない。

確かにITC、インターネットはすごい。IT革命は現代にパラダイムシフトを起こしつつある。今まで出会う可能性が限りなく0に近かった人たちと、交流の可能性が目に見えてくる。フューチャリスト宣言まではその可能性が見えたからこそ僕は生き生きと読めた。そして、生産・流通・利用のバランスは確実に変わりつつある。そこまではいい。しかし、WEBの進化のおかげで流通のコストが限りなくゼロに近づくというのだが、なくなりはしない、確実に流通という役目は残るのだ。ITでいくばくか農業管理は効率的になったろうが、LANケーブルで野菜を送れるわけではないだろう。

長いスパンで見れば蓄音機が発明されてわざわざコンサートに行かなくても音楽が聴けるようになった、テレビの発明で映画館に行かずとも映画が見れるようになった。それだけの技術でしかない気がする。

生産の中で、知的生産の話に限られるというだけでもいわゆるウェブ限界論が見えてくる。反例などはいくらでも挙げられるだろうが、そこは重要ではない。

そしてもう一つ、教育という視点があまりにも乏しすぎる。
いわゆる啓蒙書として読ませるときはまず、可能性が広がる事を知らせる。次に限界を見せる事。そして、限界に近づく方法を見せることだ。これを理解して、フューチャリスト宣言の時にも感じた違和感の正体がやっと分かった。ウェブは社会のバランスを変えるだけだ。どれだけ変えうるかという純粋な限界をこれらの本は示していないのだ。

せっかく筆者はシリコンバレーにいるのだ、これからは先端技術と従来の学問を合わせたもっと多様な技術から仕事も社会の変化も発生してくる。ならばこれをまず引き合いに出して語って欲しいとも思った。
これからまずユーザインターフェースにどんどん革命が起こるだろうし、医療技術の進歩による医療革命ももうすぐ起こる。人が人を産まずに人をつくれるようになる時代が来る。命の重要性や重さは変わっていく。それでも筆者はオプティミスティックを貫くのだろうか。


そしてこうなるであろうというビジョナリーも乏しい。
「オープンソース、チープ革命、グーグルブックサーチ。あぁ、お金のない世界を作りたいの?」
と思ってしまった。この先入観があるだけで本書の価値はぐっと減る。

「昔は知的生産はお金がかかったけど、今はインフラ程度で無限に知識を得ることができる」

これはメリットの一つにしか過ぎない。梅田氏が説きたかったのはそんな話じゃないはずだ。

起業せずともアントレプレナーシップこそ、あなたの人生を、家族を、社会を、世界を豊かにするモノなのだ。そんなメッセージを持たせたかったんじゃないだろうか。だが、焦点のあて方一つで、文章というモノはこうも変わるモノかと思ったのだ。

今現在、起業家教育がブームである。梅田氏にはもっと教育の視点を取り入れ語って欲しい。

ところで、お前哲学と心理学どんだけ学んだの?

書評-ウンコな議論-より
「教育の目的を実践哲学に、方法を心理学に求める」と唱えたのはヘルバルトだ。

この文章自体については正しい記述ではないかもしれないが、おおかた間違ってないと思う。そして知っておいて欲しい事は実践哲学(倫理)と心理学が効果的な教育には必要不可欠であるという視点だ。問題として出されるならば、この一文とともにお前どれだけ心理学かじったの?と問われていると考えてもらってもかまわない。むしろ教育問題や教育政治を語るブロガーにも問いかけたい事である。


そして、梅田氏はヘルバルトとなって語らなければいけない.

「技術の無い理念などというものの存在を認めないし、逆に、理念の無いいかなる技術も認めない」と。

本書の主張の肝は理念を共有する大切さであろう。決してロールモデル思考法なんかじゃない。ロールモデル思考法は高速度道路でしかないのだ。お手本を抽出してその理想に近づく、しかし理想には限界まで近づけても理想には成り得ない、そこにある渋滞を通り越すには才能が必要だ。だが、渋滞近くでけものみちにはいり、また別の高速道路を見つけ別の道を走る。その景色の違いを語ることが、これからのアントレプレナーシップだ。