ブクマされる側だけでなく、道具に振り回されていないかも確認する必要はないでしょうか?
よく切れる刃物と同じで、はてなブックマークも道具ですから、使い方次第ですよね。ただ、ネガコメにしても、逆に絶賛系のコメントにしても、はてなブックマークのスピード(便利さ)に対応しきれずに生じる現象のようにも思えるのです。


という普通の良記事。しかしネガコメに対しての私の結論はこっち。

文句の対象が間違ってるんじゃないの?と思う事がよくあるより
問題の原点としては、文句言う対象が違うんだよ。
「文句を言う」、言い換えると「意見する」というのは積み重ねる事が前提だよね。

好き嫌いの議論を積み重ねても、執着心にしかならない。論者同士、お互いの自己満足か不満だけで終わり、誰も得しない。

「実際どうか」よりも「どう感じるか」が大事 - Prepared Mind:

これらの問題は、「気分が悪い」というごく私的で感情的な問題だ。そこに客観的な正しさを持ち込んだところで気分の悪さは消えるものではない。嫌なもんは嫌なもんなのだ。

の通り、ネットの向こう側には人間がいることにまず気づかなければいけない。ネガコメだけでなくネガコメに対し嫌だと書くことすらもある程度注意を払わなければいけない。

人間の行動基準からみれば、その行動は「誰が得するの?」は最も考えるべき事の一つだ。

BLOGに記事を書くのであれば、それがそのBLOGの常連であれ自分であれ通りすがりでも、情報を得て少しでも得すると思える記事が望ましい。

もちろん人間一人の抱えきれる情報量は学習の方法によってかなり左右されるからすべてがうまくいく訳じゃない。視点の数だって方面だって人によって得意不得意偏りがあるはず。それを埋めていく事こそがインターネットによる情報共有の思想だったはずだ。だからこそ磨き合う、この磨き合う行動こそがコメントのはず。

ネガコメの動機については考える必要があると思う。小学生みたいに間違いを指摘して悦には入るだけなら竹刀方がいいだろうし、記事をエントリーした人や読んだ人が長期的に損しないために助言をしているならそれでいい、次に表現方法を考えるだけだ。

そして最も違和感を感じたこの一文について
ただ、ネガコメにしても、逆に絶賛系のコメントにしても、はてなブックマークのスピード(便利さ)に対応しきれずに生じる現象のようにも思えるのです。


これは一概にそうとも言えない。

例えばアーキテクチャという考え方がある。人の行為を制約する力:法、規範、市場、アーキテクチャの一つだ。「環境管理型権力」と訳される。
きっかけはネガコメ。それが加速していくからネガコメは嫌われるのだ。

ブックマークコメントのシステムがもっとポジティブコメントを促すなモノだったらどうだろうか。方法は具体的に思いつかないが、心理学的な構造を用意すればそれは可能だろう。

割れ窓理論を思い出して欲しいが、堰を切るという言葉の通り、コメントにコメントは触発される。ネガはネガ、ポジはポジでそれぞれループして好循環・悪循環をそれぞれ作り出す。
2chの便所の落書きのようなバッシングとヌクモリティと呼ばれる二面性もそれに当たるだろうし。多様性という観点からも一概に否定できるモノではない。
そして人にばかり原因を求めるのは野暮というモノだ。

教育という視点から見れば、世間的にいう悪い子にはたいてい環境に原因があったりする。また暇を与えた方が犯罪をする確率が高いという統計もでていると聞く。人間環境次第で悪にも善にもなるし、それを人の内面ばかりに求めてはいけない。上手くレバレッジポイントを探す必要がある。

そしてネガコメ
皆でのほほんとブクマして,ネガコメつけづらい雰囲気を出していくといいんじゃないかな?程度。
が意外と最適解だったりするから面白い。


ところでまた蛇足だがアドセンスが秀逸だったので載せておく。いい記事を書いていたのに思わず吹き出してしまった。
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シリーズ化を考えている。