あぁそうかー、って思ってしまった自分を殴りたい。見事な「読める行間」と「思考停止スイッチ」。

人権教育は、ありえない
人権教育など、ありえない。教育は人権侵害を前提にするからだ。統制を前提にしない教育なら、強制的に授業の時間が決定されていてはいけないし、場所が勝手に きめられていてはいけないし、おしえられることが学生との相談なしに決定されていてはいけない。


学校のシステムがうまくいってないのでなく、本当は学校の「調整」システムがうまくいってないんだけどそこには少ししか触れない。

気になる記事
それぞれが自分なりの人権概念を持つことは自由ですが、他者を説得するためには自分の考えている「人権」をもっとよく考えてみることが必要でしょう。なんらの条件を考慮せず「一切が平等であるべき」という考えは、むしろ宗教的な概念であるように私には思えます。

まったく仰るとおり。
この記事を読んで二晩人権について考えてみた。

人権教育、その中の一番大きな部分を占める平等教育について述べたい。

平等教育の語り方は100あろうが、平等の本質はといわれれば、「多様性を認める」事にある。機会均等や権利の平等はその表面上の一例にすぎない。

例えば一般人の生涯収入は3億円といわれるが、年収が300万円でも大好きな家族に囲まれ不自由はあっても満足している幸福を感じているサラリーマンと、年収2億で何不自由なく暮らしているが何となく満たされない幸福感のない裕福層、どちらが世の中を不平等だと思うだろうか。

そしてこの二人が存在することに対してあなたは不平等だと思うだろうか。

大事なのはこの二人のどちらのあり方も認める事こそが大切だと思う。もちろん生まれ持った環境やコネクションや運の違いもあるだろう。
だが、そんなものをせめても誰も得しないし何も生産しないことこそ知らせなければならない。

人間にはみんなそれぞれにいいところ悪いところがあり、得手不得手があり、役割がある。それを優劣で考えず、多様性を認めることこそ必要なのだ。それによって人は平等になる。どのあり方が正しいではない、どのあり方も正しいのだ。

選別を受けているから、教育の機会均等が奪われているとか、平等ではないとか、そんな文脈で受け取れるのだがそうではない。確かにずっと座っているのがきついという指摘は確かだし、授業が成り立たないという指摘ももっともではある。

選別というと、入学試験だけをイメージしているかもしれない。だが、そうではない。「就学時健診」による選別もある


そう、記事を書くとしたらこちらを前面に押し出すべき。

多様性を失わせる教育システム構造こそが本質的に最も問題である。

学習支援を立てたところで何も解決にならない。
教育の発達段階に合わせて教授型→体験型学習・学習支援型→互学互習型と変えて段階的に取り入れる割合を調節するのが一番効果的だろう。

参考:人権教育の指導方法等に関する調査研究会議