今日はもうブログを開かないつもりだったのに条件反射的に記事を書くに至った。挑発的なタイトルは許して欲しい。

この文章の先にある結論は間違っていない。だが、あなたたちが管理できるほど立派な大人であれば、制限をかけるのは大人自身に対してだ。

■[提案]青少年を守る、携帯フィルタリングよりも有効な手段
携帯フィルタリングよりも有効な、青少年保護の手段。

その具体的な方法とは、



未成年名義の携帯電話にかぎり、

電話とメールの相手先に制限をかけること。


大人との接点を制限してしまったらどうやって子どもに成長しろというのだろう。

子どもたちはただ純粋に好奇心を持って多くのものや事を吸収しようとしている。つまらない世の中に必死に楽しみを見つけようとして生きている。大人が体系化された文化や教育や価値観を押しつけようと押しつけまいと、成長のバランスは彼らのモチベーションと環境次第で決まる。

僕はインストラクターや指導員などもしているが積極的な子どもは危なっかしい反面成長も早い。あとは大人が致命的な失敗をしないよう見守るだけ。

■[提案]青少年を守る、携帯フィルタリングよりも有効な手段
義務教育でネットリテラシーを教えて、親がもっと子供に関心を持てばいいだけのこと。

画一的な規制に実効性は無く、アクセス可能な場所を求めて子供たちがより暗い深みへ潜るだけ。

禁酒法で、密造酒を作るマフィアの収入だけが潤ったのと同じ構造だ。


わかっているじゃないですか。

そうです、今必要なのは法規制ではなく法整備。そして子どもたちに対する教育だ。法規制がどれだけ教育を阻害しているか、そちらを訴えるべきだ。原因の大部分は人にあらず、アーキテクチャにありだ。例えば未成年携帯からの有害サイトへのアクセスに課金するだけでどれだけアクセスが減るだろうか。上手く動くシステムは法規制以外にいくらでも考えつく。また技術教育や性教育の充実も必要だ。

betterがbest「無くすより減らす」より
更に何度も言うようにそこら辺の倫理を涵養できるのは今の学校教育では技術教育しかなかったりする。

文部科学省-新しい学習指導要領-教育課程の基本的な枠組み(PDF)によれば中学校における技術教育だけの時間は年間35・35・17.5時間と短い。高校でも数学が18単位に対し、情報の時間はわずか4単位。この時間で何を教えろというのだ。2次関数より先に教えるべき事があるだろう。

世間的にモラルの低下だと叫び、文部科学省は理数教育の充実をと唱える割に技術教育の役割を見直さない事が一番不思議である。


■「少年犯罪報道」の急増について
映画『ボーリングフォーコロンバイン』の中でも、「犯罪は20%減少しているのに、テレビの犯罪報道は600%増加している」ことや、「黒人青年による凶悪犯罪を取り上げる傾向がある」ことを指摘し、メディアによって実態とは異なる犯罪不安が広がっていることが指摘されていますが、それは日本における報道や外国人犯罪への偏見にも当てはまりそうです。


子どもが犯罪に巻き込まれるのは多くが能動的にではない。援助交際、恐喝、薬物使用、または暴力団との接点などを挙げているがこれらは大人達から受動的に巻き込まれるものである。

暴力だって自殺だっていじめだって、いつも大人の方がずっと多い。

間違いを起こしているのはいつの時代も大人であり、子どもは被害者でしかない。その子どもを外に出すと危ないからといって檻に閉じこめておくのはお門違いだ。

子どもの自由を奪うモデルを持ち上げるべきではない。

あなたたちが節度ある大人であれば、大人が身をもって、身近で限られた未成年としかアクセスしないよう自重すべきだ。それができないというのであれば子どもの管理教育を語るべきではない。

不完全性と多様性を見守り、致命的な失敗をしないよう多くの視点を与えることに徹する。これが寛大な大人のあり方というものだ。