ゆとりだからとか円周率が3から3.14になったとかそんな話はどうだっていいんだよ。


日本国憲法
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。


教育基本法
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

「数学を教える目的って何だよ。理科を教える目的って何だよ。」
全部指導要領に実は書いてある。学会で知見をまとめて発表しているところもある。

そうして目的・目標を踏まえず教育を語ることが第一の問題だ。


教育の目的は1.人格の完成、2.社会の形成者としての資質(社会性)、3.健康なのだけれど、mixiのコミュニティ等を見る限り、意外とちゃんと咀嚼できていない教育者も多いようだ。

第二の問題は目標を知った上での方法だ。

日本の教育において、学問を手段とすることはしばしばアカデミズムと呼び、学問は万能で学問だけを教えればよいとするアカデミズム主義が、しばしば批判される。

というのもこの「学問」という言葉が非常にわかりにくく、個人的には高校段階までの学問は「問いを学ぶ」こと、大学段階以降は「学びを問う」事と二極化していると思っている。

そして「学びを問う」事は「真実を追究する」態度となるのだが、実は真実を追求しても誰も幸せにならないことを考えなければならない。

人間、何もなくても空を飛べると信じていた方が幸せだ。念じればものが動いたり気をためることで壊したり、呪文を唱えることで返信できたりおばけも宇宙人もいると信じ続ける事ができる方が人生はよっぽど楽しい。

真実を追求することは人を物質的に豊かで健康にするだけで、人を精神的に豊かにするわけではないことを教師は肝に命じなければいけない。学問だけでは人格は育たないのだ。

また社会性の部分であるが、正義という言葉を用いるのもどうかと思うのである。世の中は正義と悪、善悪の二元論では割り切れないし、社会的善悪と個人の善悪の判断は違う
社会に絶対的な善悪があるという教条主義のような道徳観が教育をダメにする。禁止教育を推奨するような声がよく聞かれる。ルールを守るだけで皆幸せになるならルールばかりを教えるが、知識やルールを学ぶだけで人格は育たないのだ。理念(視点)まで含めて教えることができれば初めてわかる。またルールも万能ではないし、ルールを適用する対象の規模によって180度正しいことは変わる場合もある。

この教育の目的の三つはどれかを取ればどれかが立たず、教育にはバランスが求められる。BLOG等で議論した上でこの教育基本法を読むと本当によくできているなと思うのであるが、人格と社会性と健康のバランスを取ることが重要であるのに一つやそこらの方法で解決する問題ではない。

教育の体裁ばかり語る大人がいる。教育の方法ばかり語る大人がいる。教育の理念ばかり語る私がいる。健康を害しながら働いているのは現場の先生だというのに。我々は何ができるだろうか。

新学習指導要領の案が公表されており、パブリックコメントを求めている。

僕の主張は相変わらず一つで、
betterがbest「無くすより減らす」より
文部科学省-新しい学習指導要領-教育課程の基本的な枠組み(PDF)によれば中学校における技術教育だけの時間は年間35・35・17.5時間と短い。高校でも数学が18単位に対し、情報の時間はわずか4単位。この時間で何を教えろというのだ。2次関数より先に教えるべき事があるだろう。

世間的にモラルの低下だと叫び、文部科学省は理数教育の充実をと唱える割に技術教育の役割を見直さない事が一番不思議である。

ということだけだ。閲覧者の情報リテラシーがある意味死活問題となりうるブロガー達にはぜひこの事実をパブコメにて唱えてほしい。


また、あまり特定の団体のことを悪く言いたくないのですが、影響力があるくせにまったく何もわかっていない会議のせいで訳のわからない項目が増えてしまいました。


改正案の主な内容(PDF)
道徳教育や体育などの充実により、豊かな心や健やかな体を育成。


教育基本法の改正に対応した学習指導要領案の主な改訂点(pdf)
道徳教育について、目標に、伝統や文化の継承・発展、公共の精神などを規定するとともに、道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うことを明記。


体育教育の世界では健全な肉体に健全な精神は宿るというのも結構破綻した論になりつつあるし、文化も尊重してほしいのは表面だけでなくその裏の思想だろうに、60年以上前の文化思想は戦争哲学に基づいたものである。

「道徳」とは孔子の語った戦争哲学なのだが、そういう文化的背景を理解せず道徳教育がたりないと印象論でのたまうことがどれだけ教育の価値を下げているかをそろそろ大人はわかった方がいい。「武道」も同様だと内田先生は指摘している。今回はそこにはあまり触れないでおこう。