「教育者」の仮面を被ったバカは即刻退職すべき

論考の出来ない人間は、少なくとも担任になるべきではない。現前の問題に対し適切な解決能力を示すことの出来る優秀な人間こそが教育者となるべきであって、「あー就職できなかった!!もういいや、がっこーの先生になろお」とか、そういうアレな気持ちから成るべき職業ではない。

もっとも、学校教育に関しては、何が学校の責務で何が家庭の責務なのか分かっていないと、何でもかんでも学校任せにするバカ親が出てくるので、それがまた難しいのだけれど。
確かにやられた仕打ちはひどいかもしれない。それでも攻め方を間違える事は避けたい。実は主張しているようなフィルタリングはあまり意味がなくて、教育を語るとき、このような憤りによるすれ違いこそが悲劇の元だということを知らねばならない。

そこで紹介したいのがこの一冊。

東京の駅で買った一冊。地元の駅でも売っているのを確認したが、手軽に買える本の割に素晴らしい出来映えであった。

本質を突いている、抽象的な話から具体例まで押さえている上、さらに多くの人に分かる言葉で書かれている秀逸な本。
よのなか科の授業でおなじみの藤原和博先生と『みんなのPTAを探して』の川端裕人による対談本
なお、藤原先生はリクルート社出身の民間人校長としても有名だが、この民間人校長は現在全国で102名

本書は対談とは名ばかりのQ&A形式でどこかで見たことある事例について一つずつ丁寧に答える。インタビュアーの意見も保護者を代表する視点として非常に納得できるものであるし、その答えも表面上だけではなく裏にある問題をちゃんと考察して述べている。例えば
・子どもが校則を守らなくても、一番優先させるべき事は何かを考えて対処する事
・対処療法でなくその裏にある問題を見ること
・未熟な教師は保護者が一緒に育てること
・人は知識の教授でなくコミュニケーションで育つ。→「教育の再生」は不適切
・議論はyesかNOでなく対案を持ってするものである
など、知っているが普段意識しない大事な部分を思い出させてくれた。


なにより、今の教育世界の問題点は、モンスターペアレンツでも指導力不足教師でも校長や教育委員会の馴れ合いなど資質の問題でもない、学校と家庭と地域の間に信頼関係が無いことだという。ここまではよく聞く議論かもしれないが、本書に載っていたこの一言が印象的であった。
教育とは「信頼を創造する行為」であって、信頼のベース事が全てなのです
教育という言葉は結果論として語られるものだし、活動にした場合どう解釈すべきか、長年疑問だった事があっさりと納得できてしまった。子どもたちに知識と同時に信頼の仕方を教えること。また信頼関係を築くこと。教育の本質の核はここにあるのだ。


元々学校という組織は歴史から見れば、所得が大きい人たちが家庭教師をつけて個別指導を受けていた時代に、それでは教育機会の均等に反するからといってできた組織である。いま塾や家庭教師に教育を任せればいいという意見も出ているが、その時点で本末転倒なのである。更に本書には校長の視点からの答えも載っている。

家族は資本主義によって個を重視し、よりバラバラな家族構成や地域構成になった。理由は簡単、例えば祖父母を含める拡大家族でクラスより核家族化した方が必要な家具家電が売れるからである。同様に様々なものの需要は戸数の絶対量が増えれば増える。現代の子どもたちは社会システムというか「売り上げ至上主義」の被害者である。それに対しての藤原先生の答えは「ただ家族でいる(be)だけでなく、積極的に家族する(do)こと」である。


藤原先生は見事なバランス論者である。内田先生しかり、ここに来て自分の手本となる人間が見つかったことも報告しておきたい。そのマネジメント手法も素晴らしいものなのだが、バランス感覚と問題の本質を見抜く力を持ち合わせ、具体的な対処の方法まで本書の中では提言している。

バランス論というのは、「教師と保護者、どちらが悪い」ではない、「教師も保護者もどちらも悪い」もしくは「どちらもそれほど間違っていない」という認識を持ち、調整・最適化を図ることである。システムを読み取り、適切なマネジメントを行うマネジメント層をちゃんと育てる事が今は最重要課題である。

よのなか科も、その学習活動の内側と外側のバランスを取るために行われた取り組みである。

本書を通して見ることのできる「藤原和博の教育観」は非常に説得力のあるものだ。現代の子どもの置かれている状況から保護者の状況、必要な事など、現場の視点からきちんと述べられている。もちろんここに述べられていることは全てが真ではないだろう。できることも環境によるものが多い。

それも念頭に置いて、是非バランスを取った情報の吸収を試みて欲しい一冊だ。