Creator First! Bloggers Allianceというサイトが開設された。ありがたいことに前に創ったロゴを使っていただき丁寧にトラックバックまでいただいた。

CFBAの目的は政治活動として行うわけではなくあくまで意見交換という。一つのポータルとして普及してもらいたい。自分はまだまだ論客として未熟なので、建設的な意見を主張することは難しいと思うので、できることといえばこのように普及に携わること位だ。

自分が何より貢献したいのは"人と人が健全な人間関係を築く社会"である。そのために知的財産という問題一つをとっても落としどころの整備が必要だと考える。

知的財産推進計画2007の検討課題によると
3.現段階で政府が想定している課題

○ 21世紀のデジタル経済社会を支えるインフラとしての知財制度の在り方
○ ネット関連ビジネスの多くで技術的な過程として不可避的に生じる複製や一時的蓄積等への法的対応の在り方
○ 研究開発等を目的とするデジタル著作物のインターネット等を通じた収集、共有、保存等の在り方
○ セキュリティ対策ソフトウェアの開発等に必要な複製・改変を伴うプログラム解析の法的取扱い
○ 現行著作権法の個別的・限定的な規定方式に関し、技術や環境の急速な変化に柔軟に対応できる法的対応
○ コンテンツを利用した新たなビジネスに対応し得る著作物の権利管理の在り方


ここで言及していただきたいのが知的財産教育について。あまり触れられていないであろうが、これは経済社会のためのインフラとして捉えるべきではない。

ここ数年間知的財産教育の最前線に携わらせていただいた。自分が何かをしたというわけではないのだが、学校段階での知的財産教育を普及させるための研究に携わってきた。様々な事例を見てきたし、教材の開発にも携わらせていただいたし、恩師はじめ本当に思いやりのある研究者達がこぞって取り組んでいるため、正直普及してもらいたいという個人的な願いもある。

しかし、もし知財教育が整備されたとき、どのような社会が来るだろうか

まず知的財産の教育内容に知財を守る最低限の手続きだけでなく、「理念」が伴うかどうかは先生の裁量次第となる。

現行の事例であれば、著作権を守りましょうという教育は、まず個人ベース(いわゆるマクロ)の視点・視野で行われる。「書いたもの真似されたらいやだよね、だからやめとこうね」と。これを社会全体(いわゆるミクロ?)の視点・視野で見て「あなた(達)が国民のために発明・創作を行ってくれたら政府はしばらくその権利を守りますよ」、というところまでどれだけの教師が言及できるかである。手順としてはその逆もあり得るかもしれない。

今現在現職の教員は少なくとも大学で知的財産を教えることを学んでいない教員達ばかりであることから、短期的ににはまず難しく、長期的に見てどれだけ普及啓蒙活動(例えば充実した研修など)ができ、どこに限界があるかをまず考えなければならないだろう。知財を扱う教員養成についても様々な大学が積極的に乗り出している。学問の本質に言及できない教員もそこそこいるであろうし、そこに失敗の緩衝材のような方法や教材を一つでも多く準備するだけでも説得力は増す。そこをどうにかできないか現在模索中である。


また、ここでもう一つ重要なのは認識の「あり方」である。


知的財産教育が普及するということは、作品に対してのオマージュや引用など、「尊敬を表したいときにはこのような手続きを踏めばよい」とみんなが知ることである。

「手続きを踏まないと侮辱している」社会になる事が懸念されはしないか。

例えばオアシス運動のような「挨拶をしよう」という啓蒙活動を続けていても理念が伴わなければ「挨拶をしないとマナー違反」のような共通理解が生まれ、それは逆に自分たちを息苦しくする結果となる。

大事なのは「自然に挨拶が出るような信頼関係を築くこと」である。このように方法は理念を伴わないと意味がないのである。

僕は「心のあり方」を考えるときに知的財産は一つの有効な教材となりうる、という立場だ。知財が全てじゃない。

文化や技術は人を助けうるし殺しうる。皆経済と法律と自己の感情にばかり主眼をおくが、今必要なのは法の整備より技術や文化に対する評価力である。そんな柔軟性のある計画が話し合われ進んでいくことを望む。