ビジネスは数国理社英 - 書評 - 成功の五角形で勝利をつかめ!
早い話、本書は「汗をかかずにトップを奪え!」の続編なのだが、私にとっては面白さではこちらの方が上だった。


と言うわけで昨晩東京駅で早速購入、読了。

あいかわらず筆者の視点と痛快な表現とが面白いのが特徴だが、内容と言えば16歳の教科書を社会人用に著者の言葉で高い完成度でアレンジしただけという印象ではあった。

ビジネスに、いや多くの視点や考え方として必要な要素が非常に濃厚に詰まった一冊。

だが足りない。
レビュー
出版社からのコメント
これが仕事の「教科書」だ!東大合格請負人が教える最強の地頭強化法。
会社を「学校」に置き換えろ!
国語力は「教養」でも「品格」でもない!
数学力とは「ウソを見破る力」だ!
理科で「仮説と検証」を手に入れろ!
社会は「ネットワーク力」を鍛える手段だ!
人見知りは英語で直せ!
教科書を極め、教科書から飛び出せ!第2回ビジネス突破塾、いよいよ開講!


学校を社会に、授業を会社に見立てて行っている側としては非常に笑わせてもらった。

本書冒頭でも言い切っているとおり、基本がなければビジネス書をいくら読もうと意味がない。本書はその読書ですら自分の集中力を鍛えるための訓練であるという。
というか私はビジネス書や啓発本の類をマンガ感覚で読む。マンガも熟読すればその作家の哲学や思想など、以外と勉強になるだろう。本書もそういう感覚で楽しんで読む方があっているだろう。

一番印象に残ったのは、文系理系で別れているのは日本だけだと言う話。
学問的には自然科学、人文科学、社会科学という切り分けが正しく、すべてに理数科目の基礎知識が必要なのになぜ日本は理数科目を学ばない"文系"が存在するか。

そうすれば私立大学が儲かるというのである。大学が研究・教育機関であるなら理数的な思考力は必要不可欠なのだが、それがなくても入れるコースを造ることで、めんどくさいから考えたくない人たちをあつめ金を集めることができるというのである。

実はこの部分が本書のキモだったりするのではないかと思うのだ。

9割の日本人が高校まで進み勉強をしていく。

ある程度過酷な受験をくぐり抜けたあとの大学というモラトリアム機関(期間)が社会とのずれを大きくする。

俗っぽく大学のシステムが悪いなどと言う気はない。受験というシステムは教育上非常に重要な役割を担っている。(もちろんそれの裏に隠れてしまうものも多いのが問題ではあるのだけど)

大学の先生方の質によって、学生の成長度合いが大きく変わってしまうことがやはり大きな問題ではないかと思っている。大学教授になるために教員免許はいらないし研修もないのだから。

その他中身的には齋藤孝氏の言う概念化力、メタ視点による分析に終止する。良著だからこそ突っ込んでおかなければならない部分もあるだろう。

最初に足りないと言った部分。

それはすなわち「誤差と許容」と言う概念である。

ビジネスの世界で言えばフェイルセーフとも言う。比較的新しい概念である。
たとえば自動車のフレーム。これは近年になって固い金属と柔らかい金属を併用して使うようになった。

従来は固い金属だけだったのだが、事故の時どちらか、もしくは両方が重傷・死亡してしまう可能性が非常に高かった。これは事故をしないことを前提に長年維持できるようにした設計だったからである。

一方現代は柔らかい金属をフレームの一部として
使うことでわざと車体を壊し衝撃を吸収し重傷や死亡の可能性を低くするよう設計されている。

いくら運転や法律の精度を上げても必ず事故は起こる。一定の確率で。

そういう時致命的な失敗をしないこと。それがフェイルセーフであり「誤差と許容」である。

それが一番学べる教科は技術・家庭科である。

回転のこぎりなど、高精度な工作機会でも、設計・製図の段階で刃の幅ぶんの切りしろを必要とする。用意しなければ刃の幅分寸法がずれてしまうからだ。

どんなに精度を上げてもずれは生じる。だからこそ誤差を許容できる幅やアソビが必要なのである。

人間関係にも応用できて、信頼してる仕事仲間がいて仕事を任したとしても、やはりある程度ミスする可能性も考えて、許容できる幅やクッションを用意しておくこと。これがコミュニケーションを円滑にするのだ。

ほかにも音楽は体育であるとか、芸術は政治経済であるとか、語りたいが、とにかく五教科ばかりに意義を求めすぎると失敗する可能性があると言うことだけ言っておこう。どれだけ許容できる幅・アソビを用意して望むか、改めて考え直してみるといい。なお、本書の中身の偏りも許容できる誤差の範囲内である。