なんか思いついたので勢いエントリ。

日本の美徳とされる"恥"の文化は不寛容な人間を作り出す。

不寛容な人間を作り出すと新たなサービスが生まれ企業がもうける。

昨今の品格ブームのキモだ。
1.マナーは思いやりではなく効率のためのもの
もしフランス料理が目の前に出されたとしよう。

料理には肉もあれば魚もあればスープもある。

すべてを同じスプーンや同じフォークや同じナイフで食べていたのでは、切りにくい、取りにくい、すくいにくいなど、若干非効率的である。

そのため、ナイフやフォークなどの食器を目的にあわせて変えた方がスマートである。そういうとき決まりを作っておけばスムーズに食事を勧めることができる。

料理を楽しみ方は3者3様十人十色でいいと思う。

だが作法についてはマナーを決めておく方が効率的なのだ。

同様に「5分前行動」、「ホウレンソウ」、「公共施設の利用」、「年上を敬う」。

これら、効率性を重視したためにできたルールのことをマナーと呼んでいたはずである。

2.不必要な価値を植え付ければそのためのサービスが生まれる
 だが昨今のマナーはどうだろう。
 「化粧するのは女性のマナー」と言えば化粧品が売れる。
 「電車の中はマナーモード(確かに音量が大きいと若干不快だが)」と言えば不必要な振動用モータを携帯電話に搭載する必要が出てくる。
 「踏み逃げ禁止」でアクセス数が増えると広告収入も上がる。
その他違和感を感じていたことを先日記事にまとめたが、なるほどマナーをつくり恥を煽るとそこにビジネスチャンスが生まれる。


3.寛大になればすむこと。
「すっぴんでもかまわないよ。」「若いんだし少しくらいうるさくてもかまわないよ。」「みんな忙しいだろうしコメントは興味持ってくれたらでいいよ」

心持ち一つだけで住むことをマナーだなんだと言うのはいろんな要因があるのだろうけど、結局だまされてるってのがおおきい。

もちろん寛大・寛容になれるっていうのも限度はある。だからってルールに対して厳しくしても何も解決しない。

「悪いことをしたら罰しなきゃいけない。それで世界はうまく回るんだから」
確かにね。でもそれは、完全な「悪いこと」て言うものが存在するとき。あなたが今使っているCDだって、mp3だって生まれたときは悪扱いだったし、戦争に使われて大量に人を殺したダイナマイトだって生まれたときは炭坑を効率化する画期的な発明だったんだもの。

善悪の軸はシフトする。そういうことを考えず、マナー違反を受け入れず、品格やマナーを押しつける教条的な態度が一番悪じゃないかと思う。

「私もそれで怒られたんだから、あいつも許せない」

それじゃ世界はちっともいい方向に進まないだろうに。

少なくとも僕は正しさを求める人間より寛大でバランスのとれる人間になりたいと思う。

参考:大聖堂に落書きをした日本人女子大生について
   罪と恥 - 玄倉川の岸辺
   マナーと迷惑と権力、または「あの人どうにかしてください」
   アメブロのブログマナー定義がどうも腑に落ちない