本書を学士会館で読んだのは自分くらいのもんだろうと思う。

多少の煽りを抜けば、現在の大学事情を進学率以外でもっともよく表した一冊かもしれない。

良くも悪くも著者にしか欠けないであろう一冊に仕上がっている。

でも統計と事例のバランス悪すぎ。


 本書はライター(大学ジャーナリスト)石渡嶺司氏による大学の事情と俗流若者論を語るという本である。

 俗流若者論を語りながら唯一の救いは大学を卒業する頃にはまともになっていることを強調している点くらいである。

 非常によくまとめられており、大学におけるバカ学生についての事例、大学のステークホルダー大学業界の裏事情や責任回避の態度、システムの欠陥の指摘などわかりやすく煽っている。また著者の主観で書かれた小さな大学紹介や今後生き残る大学の予想なども秀逸だ。

本書を読んで感じたことを3つだけ。

1.統計と事例のバランスが悪くない?
 8割の大学生がバカだとしたら本書は日本でもっとも価値がある本になるのだが、ひたすら大学にいるかいないか程度のバカ学生の事例を持ち上げ、「学生がバカになっている!」と煽るのが俗流若者論としてしか見えない。本書の前提となる部分であるが、ここがまずおかしい。

 どこの大学にも2割くらいはバカ学生はいるもので、自分もその1人だった。しかし、8割の学生たちはそれなりにまとも、もしくは可もなく不可もなく大学生活を送るものだ。経験からで申し訳ないが、イベントの関係で大学時代は東海中の大学生たちと1000人規模で交流を持っていたが、飲んだり興奮したときはバカであっても、多くの学生はイベントがすきと言うだけで普段はおとなしく真面目に学生生活を送っているものばかりであった。

 もっと言うならバカ学生は昔からいるもので、その最たる時代は学生運動の時代の学生たちであろう。伝統の残る大学では、今でも無意味なデモや集会のまねごとが開かれていると聞く。しかも大の大人が先導してやるのだというから今のバカ学生とあまり変わらない。

 また技術により時代が変わったのだから授業中のケータイいじり一つに目くじらを立てられても困る。そういう視点が強いため、授業中の板書やポイントをノートPCで記録しようとしても大講義室では異端な目で見られる。自分はこれでノートをしまわざるを得なかった体験をした。これは勉強の効率を著しく低下させている原因である。


2.大学は生き残るか
 本書の醍醐味となる大学の生存競争について、少子化と経営手法によって既存の名のある大学さえ危ういと言う指摘がされている。いっぽうで大学は新設される傾向にあるという。
 つっこんでおきたかったのは「いつから大学は教育機関になったのか」という部分である。大学の使命は地域貢献・研究・人材育成である。この三本柱で大学を評価しなければならない。本書は"学歴の価値"すなわち人材育成の部分ばかりに視点をおく、学歴主義の立場で大学を語っている。学力救済やキャリアカウンセリングなどのケアも確かに重要だが、大学の役割はそればかりではない。

 例えば大学があれば学生が集まりその周りに学生物件と商業施設が必要になり、様々な需要が必要となる。また地域と密接に関わる研究や地場産業を促進する研究の役割を大学側が積極的に受け入れる傾向も見えてきた。
 産学連携ばかりが取りざたされるが、地域密着・地域貢献型の大学はよいスパイラルが続けば今後も残っていくだろうし、学会で研究を発表すればいいという一部の教官などに対して(個人的に苦い思い出があるので)、その手の視点の欠落こそが問題だと指摘してほしい。

3.ポイントはロールモデルと役割
 月並みな回答であろうが、バカ学生がまともな社会人に成長していく化学反応の答えはこの二つである。

 働いている先輩の背中なり、ビジネス社会で活躍しているビジネスマンなり、「ロールモデル(自分のなりたいお手本像)」となる人をまず見つけること。
 人は本能的に真似をしようとする生き物であり、最近は脳科学の本なりなんなりでそれが証明されつつある。自分があこがれる人さえ見つかればそれに近づこうと努力する。学生の問題はそのロールモデルが近くに見つかりにくいことである。大学教授がいくら知的生産で成果を上げたとしても、それと教育や人材育成が上手かは別である。難しいことを言い負荷の高い課題を出す人間になりたいと思う学生は少ない。

 そして、次に「役割」である。「責任感」とも近いのであるが、人は与えられた役割に応じて行動するものだ。状況的学習論とも言われる。
あるコミュニティの中で自分がどのような役割を与えられたかで行動が決定するというものだ。

 ただの「学生」という立場を与えられればその中の「モラトリアム」という役割を選択する学生も少なくないだろう。失敗しても許されるという環境を無意識に自覚して行動する。決定は後回し。自分はそんな学生だった。本書に登場するバカ学生とは、その役割を演じた結果でしかないのではないかと考えている。

 「就職活動組」という新たなコミュニティに入り、社会人の先輩などのロールモデルたちに出会い、「自分は社会人になる」という役割や責任感を持つことで、学生の振る舞いが変わってもなんら不思議はない。

 大学の問題は振る舞いではなくバランスなのだ。
 本書のように学生個人の視点で問題を取り上げるなら、大学の価値は、どんな大学に行ったかというよりどんな研究室に行ったか、つまり研究室の運営が大きくしめる。
 自分はよい大学の先生にあって役割を与えられ変わったし、社会貢献や地域貢献を真面目に考えている先生は実は非常に多い。そういう先生の周りには同じような先生が集まるし、そこによいスパイラルを生む先生かどうかが重要だ。社会人になった今も先生や後輩たちとつながりが残っているし会うたびに刺激をもらえる事に非常に感謝している。僕は大学に行ってよかった。