本日は自戒を込めて。

授業というのはいくつかの要素、もしくはフェーズからなる
教師の目線に立つならば
1.導入…本時の説明、目標の提示、動機付け(ARCSモデル)など
2.講義…基礎知識の提示・伝達、応答、確認など
3.指示…書き取り、読み取り、実験、生産的活動などをさせる
4.まとめ…要点の振り返り、評価(する/させる)
と言うのが一般的。

2と3は繰り返すことも多く、数学であれば知識を伝達して3.解いてみよう→2.解説→3.解いてみようという授業がベースではなかったか。


 授業中によい講義ができたと感じることがあるかもしれない。
 たとえば、自分の態度を見直すよう説教をしたり、コミュニケーションについて説いたり、勉強法を教えたり、教科を通じて道徳的な教訓を伝えたり、さまざまな講義を行ってきた。しかし、その場で学び手が良い反応を示したり、感銘を受けても、それが知識もしくは概念として定着→行動に反映されなければ意味がない。

 教科を好きになってほしいと満足度の高い授業を行う教師も最近は増えてきた。講義の質は研究の蓄積により確実に上がっている。一方で大事なのはその授業後のフォローではないか。
 好きになる→自分で繰り返す→定着→理解深化やあらたなモチベーションというループが回るからこそその授業を行う意味があって、楽しかったね、で終わり好きになる→知識の定着までのフェーズが進んでいるかを考えなければならない。

恩師から、詰め込み式教育の最大の問題は詰め込めていないことだったという指摘を聞いた。量から質へ、知識から活用へ、将来的にでもよい、これらが両輪として作用するよう教員は配慮をしなければならない。それができないのではその講義は学者のエゴだ。ゆとりから詰め込みに表面上変わったところでなにも解決せずまた無駄な20年(学習指導要領の改変)を繰り返し続けるだけだろう。