特許法:抜本改正へ 技術「保護」から「促進」に
 特許庁は1959年の特許法制定以来、初めての抜本改正に乗り出した。現在の特許法は企業の研究開発成果などの保護を主な目的としているが、「革新的な技術の開発を促すための法律」との位置づけを明確にし、さまざまな改正を検討する。12年の改正法施行を目指す。



著作権者の了承不要、「二次利用」拡大を検討 文化庁
 文化庁は社会的に必要性が高ければ著作権者の了解を取らず音楽や文章などの二次利用ができるよう、「フェアユース(公正利用)」の規定を著作権法に盛り込む検討に乗り出す。規定ができると、インターネットの検索サービスなどが展開しやすくなる。早ければ2月末から文化審議会の法制問題小委員会で議論を始め、1年間かけて結論を出す予定。

 どこまでを「公正利用」とするか、権利者と利用者側の解釈に隔たりがあり、文化庁は難しいかじ取りを強いられそうだ。(07:00)



特許も著作権も「知的財産」という概念にまとめられて初めて抜本的な改正が行われる。プログラムも特許として認められるなど細かい変更はあったものの、その多くが権利の保護(おもに利益の保護)を目的に、その教育も多くが教条的なもの、学習者がネガティブな感情を持つモノであると報告されてきた。

真似すること自体なにも悪いことはないのに、この法律のおかげで不当な制限を強いられてきた事例も散見されるだろう。

基本的に情報は共有されるべきモノだし、特例として特許や著作権がある。文字通り「特別に」情報の帰属を所有することを「許される」権利である。(多分文章的に厳密ではないがイメージである)。

コカコーラやケンタッキーは特許をわざと取らず調理法を秘密にしている。情報は公開し新たな要素の追加や改良を加えることで社会や産業は発展する。情報共有のために情報を公開したインセンティブとして特許法は存在するわけで権利の保護はその表面でしかないし、競争でなく共に発展する事を目指してのルールであったはずだ。


 恩師の話で知ったのだが、この知的財産権の起源は農耕社会にあるという。
農耕社会における所有権概念の発生の基礎は、所有権者個人を保護することによって、まず社会構成員のそれぞれに農耕、農業投資へのインセンティブを与え、究極的にそれを通じて社会全体の農業生産の極大化をはかることにあった。また、農業社会が工業社会へと発展すると、特許権等の知的財産権が観念され、特許権者等の権利者個人を保護することによって、個別の社会構成員に発明等、新規テクノロジーへの投資のインセンティブを与え、究極的にそれを通じて社会全体の工業生産の極大化をはかることになった。このように考察をめぐらしていくと、近時脚光をあびている知的財産権概念も、基本的には、土地所有権概念とその構造はパラレルであって、同じ社会的な基礎を有していることがわかる。



 問題は「自分の手を加えず人の作ったモノでお金を稼ぐ」という行為だ。このアナロジーでいえば他人の畑でとれた野菜を売るようなモノである。
 農業のノウハウは共有すべきであるが、できあがった野菜を取るべきではない。
 海賊版やデッドコピーが無くなれば皆特許を取らず情報を公開するとは考えにくい。考えにくいが社会の発展は加速するだろう。
 宮台真司氏が言うように「これ以上資本主義が発展するにはみんながいい人になるしかない」という言葉が思い出される。

※どうやら平田先生のブログで誤解されていたようなので編集・追記しました。基本的に言いたいことは同じです。またご指摘いただければと思います。