なぜ、Youtubeは著作権侵害コンテンツをポルノと同じようにシャットアウトできないのか?
「違法サイト」とは何なのか?→
「ファンムービーは削除するな」――LucasfilmがYouTubeに要請
→著作権保護団体と著作者がもめるという若干違和感の残る事件。
同様にさまざまな著作権議論があーだこーだ言われている。
著作権擁護の人たちの多くはある意味一種の耽美主義ではないかと思う。
耽美主義は美しさが一番価値があるものである。
そして美しさの基準や価値観は文化から生まれる。
つまるところ彼らは文化至上主義であり(最初とニュアンスが異なってしまったが)、
彼らにとって文化的営みこそ尊敬、保護されるべきものなのだ。
クリエイティブ・コモンズが使われない三つの理由
→これは本当にひどい
時代によって変化したのは、よりコピーがしやすくなり、
より他人と簡単に共有できるようになり、より海賊行為がしやすくなっただけ。
創作の現場で何かビジネスモデルが変化していることはまったくなく、
何かを作ろうとすれば当然ながらお金が必要で、
そのお金は著作権というビジネス基盤のもとでしか生み出すことができない。
より海賊行為がしやすくなって、
それがビジネスモデルとして成り立ってしまったから問題なのだと思うのですが。
そもそも、法律であり罰則すらある著作権だってまともに守られていないのに、
他人の善意に頼ったクリエイティブ・コモンズのライセンスが守られることは100%ない。
今だめだから変えようという議論に対してこの反論はありなのでしょうか?
特にクリエイティブコモンズは著作権をシンプルかつ緩めにという理念があるんじゃないのかな?
例えば覚せい剤がダメな物という認識は世界に共通していて、
でも覚せい剤を禁止しても使う人は後を絶たない。
ある国では軽度の覚せい剤を合法化してカフェで売ってもいい事にしたら
覚せい剤使用者や保有者はかなり減ったという。
ちなみに覚せい剤は軽度のものであればタバコよりも害は少ないといいます。
一説では国の労働力を奪うためにドラッグ禁止にしたという説もあるくらいです。
コミケなんかのカルチャーがここまで育ったのはお金が稼げるからだよ。
「著作権者の黙認」というルールはクリエイティブ・コモンズより進んでいるわけで、
だから、クリエイティブ・コモンズはいらない。
黙認と言うか、これはひどい。著作権の概念自体がわかっていないといえるのではないか。
ここを読んでほしいのだが、著作権はむしろ共有される前提での特例法である。
(本文での「黙認」にあたる)
BLOGの記事のように、人格権と金銭的利害がないときは、読むのも引用も自由なはずだ。
あと、これは半分嘘ではないだろうが、お金が稼げるから文化が育つというのはアメリカの考え方。
インセンティブを単純に増やしても生産性が上がらないという日本の特徴は多くの研究が示している(はず)。
とりあえず著作者も段階があって
1、とにかく自己顕示も含め読んでほしいレベル(もちろんお金が入るならほしい)
2、小遣い稼ぎで本業と別に兼業として著作物を作るレベル
3、本業として著作物を作るレベル
とあると思う。
著作権を強化しても困るのは3の人だけだ。
こうしてみると著作権は著作隣接権と言われる著作物をパブリッシュする会社のためにあるのではないかとさえ読み取れる。
この点僕は著作権も特許同様、登録制や
このクリエイティブコモンズのような表示制にすることは賛成である。
JASRACの対応の適当さや一部の有名著作者の驕りには理解しがたい部分が多々垣間見られる。
実利がほしい人以上に、自己顕示をしたい人や社会貢献したいと言う人が日本には多い。
BLOGが新しいスタイルのジャーナリズムとして流行った時代に
爆発的に普及したのも同様の理由ではないのか。
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「違法サイト」とは何なのか?→
「ファンムービーは削除するな」――LucasfilmがYouTubeに要請
→著作権保護団体と著作者がもめるという若干違和感の残る事件。
同様にさまざまな著作権議論があーだこーだ言われている。
著作権擁護の人たちの多くはある意味一種の耽美主義ではないかと思う。
耽美主義は美しさが一番価値があるものである。
そして美しさの基準や価値観は文化から生まれる。
つまるところ彼らは文化至上主義であり(最初とニュアンスが異なってしまったが)、
彼らにとって文化的営みこそ尊敬、保護されるべきものなのだ。
クリエイティブ・コモンズが使われない三つの理由
→これは本当にひどい
時代によって変化したのは、よりコピーがしやすくなり、
より他人と簡単に共有できるようになり、より海賊行為がしやすくなっただけ。
創作の現場で何かビジネスモデルが変化していることはまったくなく、
何かを作ろうとすれば当然ながらお金が必要で、
そのお金は著作権というビジネス基盤のもとでしか生み出すことができない。
より海賊行為がしやすくなって、
それがビジネスモデルとして成り立ってしまったから問題なのだと思うのですが。
そもそも、法律であり罰則すらある著作権だってまともに守られていないのに、
他人の善意に頼ったクリエイティブ・コモンズのライセンスが守られることは100%ない。
今だめだから変えようという議論に対してこの反論はありなのでしょうか?
特にクリエイティブコモンズは著作権をシンプルかつ緩めにという理念があるんじゃないのかな?
例えば覚せい剤がダメな物という認識は世界に共通していて、
でも覚せい剤を禁止しても使う人は後を絶たない。
ある国では軽度の覚せい剤を合法化してカフェで売ってもいい事にしたら
覚せい剤使用者や保有者はかなり減ったという。
ちなみに覚せい剤は軽度のものであればタバコよりも害は少ないといいます。
一説では国の労働力を奪うためにドラッグ禁止にしたという説もあるくらいです。
コミケなんかのカルチャーがここまで育ったのはお金が稼げるからだよ。
「著作権者の黙認」というルールはクリエイティブ・コモンズより進んでいるわけで、
だから、クリエイティブ・コモンズはいらない。
黙認と言うか、これはひどい。著作権の概念自体がわかっていないといえるのではないか。
ここを読んでほしいのだが、著作権はむしろ共有される前提での特例法である。
(本文での「黙認」にあたる)
BLOGの記事のように、人格権と金銭的利害がないときは、読むのも引用も自由なはずだ。
あと、これは半分嘘ではないだろうが、お金が稼げるから文化が育つというのはアメリカの考え方。
インセンティブを単純に増やしても生産性が上がらないという日本の特徴は多くの研究が示している(はず)。
とりあえず著作者も段階があって
1、とにかく自己顕示も含め読んでほしいレベル(もちろんお金が入るならほしい)
2、小遣い稼ぎで本業と別に兼業として著作物を作るレベル
3、本業として著作物を作るレベル
とあると思う。
著作権を強化しても困るのは3の人だけだ。
こうしてみると著作権は著作隣接権と言われる著作物をパブリッシュする会社のためにあるのではないかとさえ読み取れる。
この点僕は著作権も特許同様、登録制や
このクリエイティブコモンズのような表示制にすることは賛成である。
JASRACの対応の適当さや一部の有名著作者の驕りには理解しがたい部分が多々垣間見られる。
実利がほしい人以上に、自己顕示をしたい人や社会貢献したいと言う人が日本には多い。
BLOGが新しいスタイルのジャーナリズムとして流行った時代に
爆発的に普及したのも同様の理由ではないのか。
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