2007年09月

[最近読んだ]著作権とか

なぜ、Youtubeは著作権侵害コンテンツをポルノと同じようにシャットアウトできないのか?
「違法サイト」とは何なのか?

「ファンムービーは削除するな」――LucasfilmがYouTubeに要請

→著作権保護団体と著作者がもめるという若干違和感の残る事件。

同様にさまざまな著作権議論があーだこーだ言われている。

著作権擁護の人たちの多くはある意味一種の耽美主義ではないかと思う。


耽美主義は美しさが一番価値があるものである。

そして美しさの基準や価値観は文化から生まれる。

つまるところ彼らは文化至上主義であり(最初とニュアンスが異なってしまったが)、

彼らにとって文化的営みこそ尊敬、保護されるべきものなのだ。



クリエイティブ・コモンズが使われない三つの理由

→これは本当にひどい

時代によって変化したのは、よりコピーがしやすくなり、
より他人と簡単に共有できるようになり、より海賊行為がしやすくなっただけ。

創作の現場で何かビジネスモデルが変化していることはまったくなく、
何かを作ろうとすれば当然ながらお金が必要で、
そのお金は著作権というビジネス基盤のもとでしか生み出すことができない。



より海賊行為がしやすくなって、
それがビジネスモデルとして成り立ってしまったから問題なのだと思うのですが。

そもそも、法律であり罰則すらある著作権だってまともに守られていないのに、
他人の善意に頼ったクリエイティブ・コモンズのライセンスが守られることは100%ない。


今だめだから変えようという議論に対してこの反論はありなのでしょうか?
特にクリエイティブコモンズは著作権をシンプルかつ緩めにという理念があるんじゃないのかな?


例えば覚せい剤がダメな物という認識は世界に共通していて、
でも覚せい剤を禁止しても使う人は後を絶たない。
ある国では軽度の覚せい剤を合法化してカフェで売ってもいい事にしたら
覚せい剤使用者や保有者はかなり減ったという。

ちなみに覚せい剤は軽度のものであればタバコよりも害は少ないといいます。
一説では国の労働力を奪うためにドラッグ禁止にしたという説もあるくらいです。

コミケなんかのカルチャーがここまで育ったのはお金が稼げるからだよ。

「著作権者の黙認」というルールはクリエイティブ・コモンズより進んでいるわけで、

だから、クリエイティブ・コモンズはいらない。



黙認と言うか、これはひどい。著作権の概念自体がわかっていないといえるのではないか。

ここを読んでほしいのだが、著作権はむしろ共有される前提での特例法である。
(本文での「黙認」にあたる)
BLOGの記事のように、人格権と金銭的利害がないときは、読むのも引用も自由なはずだ。

あと、これは半分嘘ではないだろうが、お金が稼げるから文化が育つというのはアメリカの考え方。

インセンティブを単純に増やしても生産性が上がらないという日本の特徴は多くの研究が示している(はず)。

とりあえず著作者も段階があって

1、とにかく自己顕示も含め読んでほしいレベル(もちろんお金が入るならほしい)
2、小遣い稼ぎで本業と別に兼業として著作物を作るレベル
3、本業として著作物を作るレベル

とあると思う。
著作権を強化しても困るのは3の人だけだ。

こうしてみると著作権は著作隣接権と言われる著作物をパブリッシュする会社のためにあるのではないかとさえ読み取れる。

この点僕は著作権も特許同様、登録制
このクリエイティブコモンズのような表示制にすることは賛成である。

JASRACの対応の適当さや一部の有名著作者の驕りには理解しがたい部分が多々垣間見られる。

実利がほしい人以上に、自己顕示をしたい人や社会貢献したいと言う人が日本には多い。

BLOGが新しいスタイルのジャーナリズムとして流行った時代に
爆発的に普及したのも同様の理由ではないのか。

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[社会]ここ数日の教育問題の違和感をまとめる

事の発端はこの記事

非国民通信‐必要とされていないから‐ より



 しばしば日本の子供達の勉強意欲が問題視されるわけですが、では教える側の制度はどうなのか、そこにもっと目を向けなければなりません。学校にいる時間を基本的に勉強して過ごすのか、それとも学校にいる時間の大半を「勉強」的なイメージとは遠い教科のために費やすのか、日本の現状はどうなのでしょうか?

 体育や道徳、図工や「家庭」こうした教科が日本の学校では半数を占めています。そこに「勉強しなさい」と言われても「何を?」と感じるのが自然ではないでしょうか。明日に備えて予習? 道徳の予習? 今日の授業の復習? 体育の復習? 学校制度自体が勉強に熱心ではないのに、それを無視して子供達に勉強しなさいと言うのはあまりにも無責任です。



まずこの教科観の狭さ(図工や家庭は学ぶべきものを見つけられないの?とか、僕にいわせれば体育や道徳は日常に密接だからこそ勉強すべきものなのに)にも驚いたけど。勉強ってそんなに狭いものかな?
勉強って進めていくと最終的に他の勉強と組み合わせなきゃ絶対解けない領域がある。
そういう知識と知識がくっつくのが勉強や学習の一番の面白さじゃないんだろうか。と最近は結論付けるようになった。いわゆる構造化というやつだ。

そういう構造化の楽しさを僕らは本当は知っているはずだ。
推理小説やドラマの最後で文章とイメージとトリックと犯人がつながるあの感覚だ。
鉄棒で回る際腕を引けばいいよといわれてくるっとまわれる、体と知識がつながるあの感覚もそうだ。

子どもの頃はその「無意識下でのメタ認知」が楽しいのだ。大人になっても少なくとも僕はメタ認知を楽しんでいる。

それを補助・促進するのが国語社会理科算数「以外」の教科じゃないの?本来の体験や教養科目の役目はそういう認知の助けとなる部分だろうと僕は主張したい。

音楽が英語と社会をつなげることもある。図工が理科と算数をつなげることもある。頭のイイのか悪いのかわからない大人たちが難しい話や自分の知識教養をお互いにひけらかして笑いあうのは構造化が楽しいからだろう(もちろん他の要素も多大にあるが)。

さて、そういう目で見ると中央教育審議会の検討素案もおかしく見える

7. 教育内容に関する主な改善事項
(1)  各教科等における言語活動の充実
(2)  理数教育の充実
(3)  道徳教育の充実
(4)  小学校段階における英語活動の充実
(5)  教科等を横断して取り組むべき課題への対応




理数教育の充実とはどういうことだろうか?
理数教育を追及したって何も生まれないだろう、
だって純粋な学問は追及すればするほど実際の生活化からかけ離れていくんだもの。さがしてみると10年前のアメリカも同じ事を述べている。


「やる気がない」というのはそういう純粋な学問の追求の中で単に実社会とのつながりを見出せないことが増えてきたんじゃないの?

確かに純粋な学問にはロマンがあり、学者たちはそれが面白いという。

そんなロマンを感じる人は一部だ。万人にその価値を押し付けるべきじゃない。

大事なのは理数教育と社会をつなげる部分、すなわち技術教育(pdf)社会工学だ。

高校で数学と物理とをつなげるのは2時間数や微分積分だけど、それが目に見えて生きるのは車や電車といった技術じゃないの?

速さが2倍になると衝撃は4倍になる。免許取らなくても知っておいて言い事実だよね、スピード違反がなぜ悪いか、違法だからって言うよりよっぽど理解できるでしょ。

そいうい社会工学的意義を知って初めて学びたいと思える、役に立つと思える、継続につながる。

数学は生活に関係する最低限の解法さえ知っていれば計算はコンピュータがしてくれる。

理数教育充実と道徳教育充実が叫ばれてるけど、

理科など科学教育で、先生たちが「水からの伝言」を教えるって問題になったじゃない。

技術教育じゃなくてもいい、今子どもたちに必要なのは、知識と知識をつなげるための教育だ。これを審議するような賢い人たちは構造化を何も意識せず与えられずにできたから理解できないのかもしれない。



もう一つ突っ込んでおきたいところは各国の教育目的の違いだ。
一通り調べてみた。

日本は書いてあるとおり完全に人格形成に奉仕する教育だ。

だが、ロンドンのあるイギリスはどうだろう?

イギリスでは、1999年の教育改革時に、「持続可能な社会のための教育」の推進を教育の目的の柱に据え、ナショナルカリキュラムの目的に位置づけている。

教育の目的を国家でなく持続可能な社会のためと考えている。

アメリカは日本と同様「アメリカ国民の一人一人が、それぞれ一個の人間として成長することができるように学校教育は存在する。」(pdf)のだそうだ。アメリカの教育基本法が検索で引っかからなかったのは申し訳ない。理念としては「民主主義を守る子供を育てる。」という文化背景の上にできたそうだ。

日本と違うのは「人格は完成しない」ということ。勉強を教えるのでなく勉強の仕方を教えて社会に出ても成長できるようにと言うことだろう。

また、記事ではずされていたフィンランドだが

「学習者の人としての成長を支援し,社会の一員として倫理的な責任能力の醸成を支援し,また彼らの生涯にわたる十分な知識と技能を与えるものとする。」

と、一番日本に近い。

何が言いたいかと言うと、目的の違うものを比べてあちらのほうがよい結果というのはナンセンスではないかと言うこと。

PISA調査が話題になっているが、学力と言う言葉一つ取っても記憶力もあればIQのような認識発見力、創造力のような応用力と幅広いのに、それであたかも学力すべてを計ったかのように述べ、学力不足だから勉強を、という議論は見飽きたし聞き飽きた。

目的が違うのに、中身を比べてシステムがあーだこーだというのは、(非常に表現が悪くて申し訳ないが)シャープとトヨタがお互いの生産ラインをみて、あちらのほうが効率的だと工場内で言い合っているのと同じだ。

細かい部分で応用できても丸ごと取り入れるべきではない。

今回の記事であればむしろフィンランドと比較すべきだし、多くの学者は学力が下がると「国が国が・・・」と言い出します。

国のための教育ではありません。国民のための教育です。(賛否はともあれ)
民が主で国が従ですが、しかし、あたかも国があることが前提で、国がだめになると学者たちは論じる。

だから、僕の今最もファッショナブルな話題は『国って何?』というものだ。

共同体と言うにはあまりにも大きく理不尽になりすぎた国。

ただ共同生活のための集団と言うだけでは理由が足りないように感じるし、皆にも考えてほしい部分の一つだ。

[最近読んだ]アカウンタビリティレベル

黙って引っ込んでいられなくなった玄人http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50916417.html

→僕は恩師からプロ意識というものはアカウンタビリティを持つことからだといわれた。

アカウンタビリティは説明責任、聞かれたら納得できるだけの理由を応えられることである。
要はエビデンス、論拠をもつこと。
ほんでもって一般人のもこれは必要なはずなんだよね。特に専門家に口を出す時は。
僕が年を取ってきたから何か昔からか、最近はセミプロみたいな人がプロに口出しする場面をよく見るが、受け答えの一番の違いはこのアカウンタビリティで、それを見てやっぱりプロとセミプロは違うなと思うのだ。


一般的にはアカウンタビリティ(アカウント・アビリティ:説明能力)には段階があるだろう。段階が飛び飛びかもしれないが思いつくままにあげる。


・直感的感覚的なアフォーダンスのレベル
・「テレビで言ってた」など見聞のレベル
・論理的に筋が通ってはいる整合性のあるレベル
・数値や統計的なデータを背景に用いたレベル

数値を用いたからといっても完全に信用できるわけではないが、
99.9%が仮説の世の中で最も信頼性が高い語り方なのは確かだ。
もちろん組み合わせわざとかいわゆる研究に基づいた語りも含む。

要は主観から遠い、すなわち客観性のあるエビデンスが求められる。
なんらかの意思決定をした際、「慣例だから」とか「僕の経験的に」とかを理由に使うべきではない。しかし経験則は理由の一部としてなら適切だろう。

客観性は主観の集まりではない。主観を完全になくすことだ。

16歳の教科書などを読めばわかるが学校の国語では国語力としてこういう姿勢を教えろといわれて久しい。

文章を書けといわれて、花を美しいと感じたとか、プールを楽しいと感じたとか、それはそれで結構。
でも読書感想文は読書をして面白かったと感想を述べ賞賛するより、疑問を呈すもののほうが価値が高い。学校で教えるのはそういう姿勢だろう。

そうすれば、ある施設で手順を踏めば「ありがとう」で綺麗な結晶ができるから道徳的だという類の科学は価値を持たなくなるだろう。

「人生いろいろ、政治もいろいろ」なんて首相も生まれないだろう。 続きを読む

[最近読んだ]9月20日

今、いちばん大切な本

通常、経済学はそういうものだと思われていない。お金の話だと思われている。でも、経済学はそれにとどまらない。「今」を引き起こした人間の各種選択行動とその根底にある原理を探すのが経済学となる。
読みたい。。。


愛国心をおそれてはいけないよ。

国は自分自身をも含む。だから国を愛するというのは、少しは自分自身を愛してあげることでもある。
ただ、保身と貢献のバランスは考えなきゃならない。
多分愛国心とは何かを知らずにそれに依存することがだめだといいたいんだと思う。
それを語るのであれば最低限話が通じる程度には知るべきだということだと思う。
メリットもデメリットも知った上で批判すべきだということだと思う。


性的少数者

→特別支援もそうですが、マイノリティに対する教育とか対応について、ほとほと僕は無知だと思う。
自分がそうなった時にされたら嫌なことをしないという最低限の部分でしか行えていない。何が貢献で何が過剰な親切かもわかっていないし。
セクシャルマイノリティは意外と身近な存在だし、だからってへぇーとしか思わない。
子孫を増やすことが生きる目的でなくなった今、そういうことを考えることでなにか生きることを考えることにつながらないだろうか。


ビクターマークの由来

→犬は可愛いなぁ。

家族に期待しすぎなさんな。
――『家族という神話』(ステファニー・クーンツ)書評


問題は、それがフィクションだということを忘れ、それしか世の中にないんだと思いこんでしまうこと。そういう盲信からいろんなゆがみが生じる。


家族って、生まれたときにはすでに形としても法律としても完備されていて、
結婚しなければいけない、親にならなければいけない、それをステレオタイプのように教えられた。
確かにこのシステムは多数メリットがあるからといっても必然じゃないのかもしれない。
離婚社会が拡大してきたのはこの部分を本能的に皆がわかってきたからじゃないだろうか。

インターネットの中年化

→これが10年前の記事なのは驚き。
若干予想にはずれもあるし、インターネットはいまだ肥大化している感がある。
それはユーザが大人になっていける世界が増えたというだけだろうか。
若い子達の世界では確かに淘汰のような状況は出てきているのは確かだ。
BLOGの存在はホームページと掲示板、どちらの概念に入るのだろう?


パティ・スミス(仕掛かり版)
スタジオボイス 原稿読破。
山形氏のあとでアレは悪かったなんて書きながら毒を吐き続ける様子はおもしろい。
お笑い芸人があの時吸いませんでしたって楽屋裏で誤っているようだ。
ガールズパワー、、、あれはすごいですよね。。。勝てません。


集合知を多数決で作るのは間違い。

→すごいなぁと思ったのは今流行の事例を解説するのでなくそれをメタ化して問題点をタイトルに押し込んでいること。
そして法律とそれの元になったはずの著作権意識の軸バランスがずれていること。
パラダイムシフトって言うのかな?だからそろそろ著作権法のバランスを整えようといわれて久しい。

※追記に追記あり

覚えておきたいちょっと計算を速くするための小技10

→これこれ、計算してると自然に閃くんですが、なかなk気付きにくいところにも手が届いていていいですね。 続きを読む

[最近読んだ]9月19日

田村隆一の、人生相談は、若いうちに

→若いうちの人生相談は、結局背中を押してほしかったりするだけだったりする。ちょうどタイムリーにシーソーの上でゆれてます。
どうするべきか、、、うーん。。。


『脳のなかの幽霊、ふたたび――見えてきた心のしくみ』
V・S・ラマチャンドラン

→幻肢かぁ。
 朝起きると腕が感覚がないのに動いたりするあの感覚に似てるのだろうか。
むしろ今の自分は手や足や頭があるのに、人並み以上に働いてない状態である気がしてならない。



テロについて、知りたい情報が入手できないわけ
→論点が二つある。
一つ目はテロも災害も時間がたてば史実にしかならない。その上史実が事実とは限らないだろうということ。

二つ目はCIAですら、技術に踊らされているということ。
技術は道具であり、人間を拡張するものではない。人間の可能性を拡張するものだ。
人工衛星は写真は取れるけど、目の代わりにはならない。
車椅子は移動はできるけど、足の代わりにはならない。
スピーカーは音は出せるけど僕の意識を勝手に代弁することはない。
少なくともドラえもんの時代までは。



ジンジャー/セグウェイと新しい都市の可能性

→山形氏らしからぬ少しもったいないエントリー。
なんで小型の電動自転車を貸し出さないかという視点は出てこないのだろう?
これはきっと利権の問題が絡んでくる。
問題があるのに、そしてある程度解決の見通しも賢い人なら出せるだろうに
一向に問題が解決しない場合、得てして利権だ。
多分、交通渋滞のほうが車内用の暇つぶし産業が儲けるのだろうし、渋滞による事故で配車が増えればクルマ会社は設ける。

とまぁまったくいい例が浮かばなかったけど、そんなことが言いたかったんじゃないかなと思う。



じおぽりちっくすみたいなのと援助と国と。

→国の醸成と援助の関係は前に読んだとおり子どもと教育の関係だ。
愛国心教育とかじゃなく、さまざまな思想が、援助によりナショナリズムを持つことが望ましいという意味で。
さまざまな子どもが教育・特に学習活動の中で連帯感を持つように。

なにか不自然だけど人間はココに安心感と言うか、気持ちよさみたいなのを感じるようにできている。

でも、もう一度メタナショナリズムを考える必要がある。

書評-新教養としてのパソコン入門-

山形氏のコンピュータ入門書。


相変わらずの山形節なんだけど、今回は少々暖かい。
詩的な科学の本というか、哲学する科学の本と言うか、コンピュータの気持ちを教えてくれる。
そして自分の生まれる前のコンピュータ事情がよくわかる。
多少コンピュータに触った経験さえあれば、中学生くらいにも分かりやすいので読んでおいて損はない。
今流行のアンプラグドコンピュータサイエンスにも通じる、本質の書いてある本であると思った。


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[最近読んだ]9月18日

学科の先輩であるかねちゃん先輩に第一子が誕生しました。

本当におめでとうございます。

お子さんの朔(はじめ)と言う字には新月と言う意味があるそうです

大きくなるにつれて満月のように僕らを照らしてくれる存在になるとよいですね。 続きを読む

[最近読んだ]9月17日

ユーザーに尋ねても必ずしも正しい答えは返ってこない
私のとっておきのプログラミングスタイル
→何を作るかとどう作るかのエントリー。

惰翻 - プレゼンをイカす10のtips

→「時と場合を選べ」って言うのを追加してほしい
学会で大笑いしながらレポート発表をしゃべる学生たちを思い出したので。


社会科学における「技術」と「研究開発」

→いわゆる文系の研究にも予算をと言う主張。
「技術」と言う言葉は生産においての労働手段や体系のこと。
文系の研究って主に分析と言う印象があるけど、技術が必要と言うことは、どこに生産性があるのかちょっと調べないといけないと思った。

【Innovation Japan】ソニー社長の中鉢氏,「大学は博士課程を見直して」
→「1,10,100」の考え方の浸透って、具体的過ぎて分かりにくいけど、要は労働観、生産観(勝手に作った)というものの見方考え方を知ってほしい教えてほしい
ってコトでしょうか。大学だけでなく技術教育をもっと重視するよう主張すればいいのにと思ってしまいます。

株式投資を勧める人々。
http://cruel.org/e-candy/e-candy2.html

→株ってぐるぐるまわるだけなんですね。
売ったら会社が買い戻すのかと思ってた。

Steve Wozniak, Gina Smith, iWoz: Computer Geek to Cult Icon: How I Invented the Personal Computer, Co-founded Apple, and Had Fun Doing It 査読書
http://cruel.org/reading/iwoz.html

→アップル作った人の話。
 確かにあらすじだけじゃ面白くなさそう。


City Road の文章
→つまりガーナーにとって、神話とは人を縛る人間関係の構図であり、
抜け出すべき何かなのだ。
ちょうど天皇制や、あるいはユートピア/アルカディア神話と裏腹の社会主義や、
資本主義がそうであるように。

神話と資本主義の関係なんて考えたことなかった。
しかし神の扱いは変わってきていることをつくづくかんじる。

それはインテリジェントデザインにも代表されるような感覚である。
哲学が科学であり論拠だった時代はもう過ぎ去ろうとしているのに
哲学って実はよく知らない言葉にに生きる意義を求める自分たちが滑稽で仕方がない。

書評-ご飯を大盛りにするおばちゃんの店は必ず繁盛する-

一ヶ月くらい前に読み終えていたのに書評し忘れてた。



島田紳助の本。買ってまで読むべき本かと言うと判断しずらいのだけれど、

読みやすさはピカイチ。量も多くなく書いてあることもシンプルで分かりやすい。
難しい言葉は一切出てこない。そういう意味でも紳助は天才だ。 続きを読む

[最近読んだ]安倍っち

メモついでに安倍元総理辞任まとめ

一身上の都合により、総理の職を辞します
安倍首相辞任に思うこと
最後の最後まで無責任だったアベシンゾー
安倍首相辞任で思い出すこと
政権の命取りになるか 安倍首相の健康問題
産経「緊急アンケート」の意図がよくわからない
[安倍首相辞任]緊急会見で話した内容の全文掲載
■[政治]安倍総理、辞任表明
[緊急] 安倍総理、代表質問ドタキャンで辞意表明(第一報改訂)
安倍首相に家族だんらん法適用、「今後はだんらんに励みたい」
「戦後レジームからの脱却」ってどういう意味なんですか?


→多くのブロガーが驚いているが一人としてこのタイミングに納得している人がいないのは興味深い。
大方一致して辞任するだろうという予想はついていたっぽいのに。

逆に自分はこのタイミングに納得してしまった。
元首相は散々タイミングをはずし、よくわからない論理を振りかざしてきた。
変なタイミングで辞めるんだろうな。そろそろかな、と思っていたそんな矢先だった。今回の辞意表明だ。

安倍政権は散々批判されてきたけど、どんな内容だったろうか。おもいつくだけでも、
・言葉がうまく使えない。
・政治と金の問題。
・年金問題。
・空気読めない。

とかそのへんだ。

別に僕は教育再生会議を除いて咎める気はない。
むしろ、リーダーは外交やマスコットに徹して、その周辺の人たちががんばればいいだけの話なのだから。

言葉は、外交時以外であれば、多少間違ってもいいと思う。
小泉元首相の小泉劇場のパフォーマンスも言葉が巧みだった。わざと間違った言葉遣いをするのもキャラクターである。

政治と金の問題。
これも直接税金を納めているわけではないからいえる感覚かもしれないが、金返せとか咎めて意味のない形だけの謝罪をさせる時間があればその分働いてもらうべきだ。
多少不正なインセンティブがあっても、それに見合うだけの仕事をすればよいはずだと思う。(評価は難しいと思うけど)。減俸処分だとか言ってるけど、とにかく減らせば働かなくなる、働かなければ減るの悪循環はとめるべきだとおもう。

年金問題も、大人が僕ら若者から搾取する仕組みを浮き彫りにしてくれた。
これからの対応次第だし、確かにうやむやは困るけど。この波乱はマイナスだけじゃない。

空気読めない。
それくらい鈍感で首相はつとまる。小泉元首相は空気あえて読まなかったよね。言葉遣いもそうだけど、キャラクターとかパフォーマンスとか、そんな部分を見るべきじゃない、政策を見るべきだってお偉いさんたちも言ってるじゃない。攻めるべきところはここですか?

政策について、元首相が訴えていたのは「戦後レジームからの脱却」とか、「美しい国」とか観念論ばかり。

今までがどうだめで、これからどうあるべきかの具体案がいまいちよくわからなかった。とりあえず戦争の方向を向いているのだけは分かった。だからこの部分はせめても良かったと思う。

それは教育再生会議も同様で、教育についての科学的な検証に従事している者が一人も含まれないし井戸端会議的内容だったのは余りに有名だし、徴農制は戦争の方向を向いているとしか見えない。


結局安倍首相が首相であることのデメリットは教育再生会議以外にあまりないのではないかと思っていた。
しかし、安倍首相が継続するだけのメリットは残っていなかったというのも事実。なんだろ、この複雑でもやもやした感じ。

首相は相、つまり顔である、ブレインじゃない。
ブレインじゃなくてもアレはどうだろうなんていう人には相だね、としか言えないけど、核になるブレインがしっかりといなかったことが今回の問題の味噌じゃないだろうかと僕は考えている。
大臣一人ひとりに力があっても、核力が弱ければまとまらない。外殻の国民は離れていった。

次の政府にもそんなに期待はしてない。

一週間の振り返り1 -集中講義-より

「教育学者は子どもの発達の視点から無視できない論述や研究を行うことが政治に対して行うべきこと。政治家に直接働きかけて動かすことではない。」

そしてすべての学者や研究者が同様に無視できない論述や研究を行うこと。
この姿勢を持って政治的に無視できない研究をするしか、日本をよくする方法はないんじゃなかろうか。
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