プライベート

履歴書を書いています

履歴書を書いています。

東大生による就職活動論
2つの簡単な質問。
Q1.なぜ「あなたは」この会社に入りたいのか?
Q2.なぜ会社は「あなたを」採用する必要があるのか?



就職活動の全てが集約されている、クリティカル・クエスチョンです。きちんと答えられますか?

■[就職]就職活動は自然体で
正直、先のことはよく分からない。

大学に入ったときから今までの6年間を考えても、自分の世界はすごく広がったし、その影響を受けて、目標や夢もずいぶん変わった。さらに就職し、また違う世界を知れば、変わることもあるだろう。全然、世の中を知らない学生が、そんなに明確に語れるほうがおかしいような気がする。

もちろん、人生目標・将来の夢を持つことは大事だし、それに近づけそうなところに行くべきなんだけど、そんなにガチガチに考えてしまうのも、自分が想定していた以上の衝撃があったときに、つまづいてしまいそう。


わからんくなる
就活しててさ,自分を実際よりも優秀そうに見せる理由がわからない。


すごい分かる。でも、「個性と協調性の世代」特有の悩みなのかも。 続きを読む

勝手にブログ評論

勝手にブログ評論より


めちゃくちゃ・・・笑 続きを読む

WEB墓標

[追記]もしも、ブロガーが死んでしまったらブログはどうあるべきなのか?
dankogai氏が亡くなられた場合、あの方のブログというのは、ある意味『財産』になるのではないだろうか。


情報発信ツールとして使われるHPやBLOGはたしかに財産である。
しかし、コミュニケーションツールとしての側面から見たHPやBLOGは墓標になる。

墓石・お墓あれこれ
墓標とは故人の一生を象徴化してその人が持った意味を込めるものです。


参考:メディアと怪談とインターネット 続きを読む

パロディ文化

ちょっと前にtechnoratiと一緒にはてなに登録した。最近になってやっと活用するようになった。

ほっとエントリーやBLOGの動向も分かるし自分の記事がどれだけ注目されるかも分かる。なんか株価の動向をずっと見守る初心者トレーダーみたいな気分だ。そのおかげか昨日のエントリーも、ブログ訪問者が一気に10倍になった。

著作権問題になるといつも昔金八先生で短歌の勉強をしていた回を思い出す。
教育界隈では知財教育・知財学習が話題になっているのだがこれは走りだったのだなと今になって思う。

内容は「本歌取り」

昔の人たちの歌をもとに新しい短歌を作る。その際、ちゃんと作り手の人より良いものを作らなければいけない、というルールがある。それがその短歌を作った人達に対する最大限の尊敬の表し方だ。と武田鉄矢が語る。偉く感銘を受けたのを覚えている。

ある意味それはパロディ文化で、それを楽しむ人は予想以上にたくさんいると思う。と言うか世の中パロディじゃないものなんてないくらいの段階に入ってる。これもリミックス文化の一つ。

完全なオリジナルコンテンツなんて作る方が難しい時代だし、
リミックスクリエイターの活躍する場をどうか狭めないで欲しいとは思う。
というかそういう遊び場がもっと増えて欲しい。
ニコニコやyoutubeに職人が集まってるし、JASRACにそこら辺の契約を上手く結んだひろゆき氏は本当にうまいなぁと思う。

パロディ文化といえば、はてなハイクによく顔を出すようになった。

ハイクというか大喜利という言葉が似合う。

大喜利かぁ、笑点からは著作権使用料取らないのかな。。。

my boo

ここ最近の脱力感がひどい。
去年もこんな感じだった気がするが。

とりあえずMY BOOをやってみた。
参考:
「清く、かしこまっている感じ」だそうです

いつも思うんですが最前線の人等はどっからこんな情報もってくるんでしょうか。


結果は以下の通り

0a8d1a16.jpg


technoratiに登録

テクノラティプロフィール

続myminicity



myminicity の状態を表示するスクリプトだそうな

myminicity

試しにやってみた
http://builderror.myminicity.com/


参考
友達にURLを渡してアクセスしてもらうと街が育っていくゲーム『MyMinCity』

試してみた - MyMinCity

アクセスを集めて街を発展させるWEBゲーム「MyMiniCity」

[プライベート]後輩のサポート

近況を。

今年は進学をやめた。少なくとも夏の試験は見送った。

理由はいろんな要素があるが、いったん現場に出ることの必要性を前々から感じていた。と言うとカッコいいだろうか。



今日は同期のイケザワ君と図書館に行った。

研究用の資料となる図書が思いのほか少なく、一冊しか手に入らなかった。

この分野(MOT)を研究している先生方なども大学にはおられないのだろうか。

ましてや中学校の授業に入れてみようなんて考えているのはほぼいないだろう、と考え、自分の研究の難易度に立ちすくんでいる。

まだ、MOT教育の研究自体は始まったばかりだ。

今中学校のカリキュラムに教材・題材として扱うべきものではないのかもしれないが、でもいずれ必要な要素になるだろうと思っている。

というか社会のニーズ、技術教育としてのニーズを最低限満たすだろうという予想は立つのだが、検証が難しい(というか僕はその方法をちゃんと知らない)。




夕方は他研の後輩が珍しく研究室に来た。最近後輩に話しかけては相談に乗っている。いや、無理やり悩み相談させているという表現がぴったりだ。

その後輩の相談は、ゼミを必要と感じないということだった。

少なくともゼミとバイトがあればバイトを優先してしまうという。

昔お世話になっていた田中研究室のときなんかはそういう学生が大半だった。僕も例外ではない。

今の研究室は運営がとてもうまく行っており、快適だし、素直に言えばゼミも当たり外れはあるけどある程度勉強すべきことが見える、という状態。

考えてみればいい。ゼミの時間はだいたい3時間。その時間集中すれば本を一冊読み終えることも可能だ。

その時間を割いて集まることの意義って何?と。ほんで知識を得るよりメリットがあるのか、と。

ここで二つのネックが生じる。

一つは、ゼミそのものが学生にとって与えられた文化であるということ。

先生の方針でとか、先輩たちの慣例で、とか、集まる理由が自分以外にあるのであればそれは負担であると感じる確率のほうが高い。

今の研究室は先輩たちが文化を作ってきた。4年生くらいまでは先生、OB・OGその文化を一緒に作り上げてきた学生なので、その意味がわかっている。

もう一つは、誰のためのゼミかはっきりしないこと、だ。

先生のためのゼミであるなら、それは負担でしかない。

必要ないと思うのであれば、ゼミもしなくていいと思う。

先生に言って、個別の卒論指導などだけでも、事足りると伝えればいいだろう。

やるというのであれば、ちゃんと研究室のリーダーがそのメリットを示し、意思を共有し、皆で作り上げる必要がある。

うちの研究室の後輩にも話を聞いたが、やはりゼミは与えられる文化でしかないようだった。

ならばより意義のあるものに作りかえればいいのだと思う。

満足しないものに従う必要はない、多くの議論や計画やアイデアを積み重ねて自分たちの文化にしちゃえばいいじゃん。

そんな話を簡単に伝えた。

話は飛ぶが、最近「教養や力は上に立つ人は最低限持っているべきものだ」と考えるようになった。

特に教育学部で教師を目指すのなら。分析する力、考える力、システムを変える力。流されていても、環境のせいにしていても、力はつかないし、人を変える力はそこにはきっと生まれない。

「教師と言う仕事」は生きる術でなく、生きる目的であるのが理想。

だから、偉そうかもしれないが、でもしか先生にはなってほしくないのだ。

なので、ある時から必要もないのに後輩たちにかかわりあうようになった。



夜、その当の他研に顔を出すと、世良先生と院生が企画を思いついた、と持ちかけてきた。

ゼミを面白くするよう、彼らも考えている。

6年間この棟に出入りしているが、この棟は変わってきている。

皆が課題を解決し、学生同士が磨きあい、成長している。

自分だけが成長せず置いていかれる感覚だけが残るのだが。

高校の恩師の訃報

先ほど高校の頃の国語科の恩師、佐伯祥子先生がなくなったという話を聞いた。

大きな実践や実績を残された先生ではなかったが

自分の中では唯一無二の国語教師であった。

高校の頃国語便覧を眺めるのが好きで、

事あるごとに質問に行っていた。

若干変わり者の自分に対して、いやな顔をしながら

分からないことはすっぱり分からんから調べろと言い、

分かることに対しては情熱を持って語ってくれた。

今理系のコースにいながら文章を読んだり書いたりするのがすきなのもこの先生のおかげだと思う。

葬儀などの参加のために日程を調整できるかは分からない。

心からご冥福をお祈りしたい。
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